勉強会:關西鍼の會(『諸病源候論』講読)
◆『諸病源候論』講読
H25.05.12:巻五・消渇諸病・消渇候第一、渇病候第二、大渇後虚乏候第三、渇利候第四、渇利損後候第五、渇利後発瘡候第六、内消候第七、強中候第八(107)、第114回日本医史学会学術大会(2013.05.11)報告「脈学における曲直瀬道三の業績」

H25.04.14:症例報告・急性腰痛

H25.03.10:巻五・腰背諸病・腰痛候第一、腰痛不得俛仰候第二、風濕腰痛候第三、卒腰痛候第四、久腰痛候第五、腎著腰痛候第六、カイ(既+月)腰候第七、腰腳疼痛候第八、背僂候第九、脇痛候第十(106)

H25.02.10:巻四・風虚労候第七十五(105)

H25.01.13:巻四・虚労陰下痒湿候第七十三、虚労陰瘡候第七十四(104)

H24.12.09:巻四・虚労陰痛候第七十、虚労陰腫候第七十一、虚労陰疝腫縮候第七十二(103)

H24.11.11:巻四・虚労偏枯候第六十八、虚労陰萎候第六十九(102)

H24.10.14:巻三・虚労膝冷候第六十五、虚労陰冷候第六十六、虚労髀枢痛候第六十七(101)

H24.09.09:巻三・虚労尿血候第六十三、虚労精血出候第六十四(100)

H24.08.12:巻三・虚労喜夢候第六十二[その4](99)

H24.07.08:巻三・虚労喜夢候第六十二[その3](98)

H24.06.10:巻三・虚労喜夢候第六十二[その2](97)

H24.04.08:巻三・虚労喜夢候第六十二[その1](96)

H24.03.11:巻三・虚労少精候第五十七、虚労尿精候第五十八、虚労溢精見聞精出候第五十九、虚労失精候第六十、虚労夢泄精候第六十一(95)

H24.02.12:巻三・虚労小便利候第五十三、虚労小便難候第五十四、虚労小便余瀝候第五十五、虚労小便白濁候第五十六(94)

H24.01.08:巻三・虚労吐利候第五十、虚労兼痢候第五十一、虚労秘澀候第五十二(93)

H23.11.13:巻三・虚労吐下血候第四十九(92)

H23.10.09:巻三・虚労鼻衂候第四十八(91)

H23.09.11:巻三・虚労嘔逆唾血候第四十六、虚労嘔血候第四十七(90)

H23.08.14:巻三・虚労凝唾候第四十五(89)

H23.07.10:巻三・虚労浮腫候第四十三、虚労煩悶候第四十四(88)

H23.06.12:巻三・虚労舌腫候第四十一、虚労手足皮剥候第四十二(87)

H23.05.08:巻三・虚労骨蒸候第四十(86)

H23.03.13:巻三・虚労体痛候第三十七、虚労寒熱候第三十八、虚労口乾燥候第三十九[その3](85)

H23.02.13:巻三・虚労体痛候第三十七、虚労寒熱候第三十八、虚労口乾燥候第三十九[その2](84)

H22.12.12:巻三・虚労体痛候第三十七、虚労寒熱候第三十八、虚労口乾燥候第三十九[その1](83)

H22.11.14:巻三・虚労心腹否満候第三十三、虚労心腹痛候第三十四、虚労嘔逆候第三十五、虚労欬嗽候第三十六[その2](82)

H22.10.10:巻三・虚労心腹否満候第三十三、虚労心腹痛候第三十四、虚労嘔逆候第三十五、虚労欬嗽候第三十六[その1](81)

H22.09.12:巻三・虚労盗汗候第二十九、諸大病後虚不足候第三十、大病後虚汗候第三十一、風虚汗出候第三十二[その21](80)

H22.08.08:巻三・虚労盗汗候第二十九、諸大病後虚不足候第三十、大病後虚汗候第三十一、風虚汗出候第三十二[その1](79)

H22.07.11:第111回(2010.06)日本医史学会学術大会報告「耳聾について」、第61回(2010.06)日本東洋医学会学術総会報告「人迎気口診の推移」

H22.04.11:巻三・虚労汗候第二十八(78)

H22.03.14:巻三・虚労脈結候第二十七(77)

H22.02.14:巻三・病後虚腫候第二十六(76)

H22.01.10:巻三・大病後不得眠候第二十五(75)

H21.12.13:巻三・虚労不得眠候第二十四(74)

H21.11.08:巻三・虚労風痿痺不随候第二十一、虚労目暗候第二十二、虚労耳聾候第二十三[その3](73)

H21.10.11:巻三・虚労風痿痺不随候第二十一、虚労目暗候第二十二、虚労耳聾候第二十三[その2](72)

H21.09.13:巻三・虚労風痿痺不随候第二十一、虚労目暗候第二十二、虚労耳聾候第二十三[その1](71)

H21.08.09:巻三・虚労傷筋骨候第十八、虚労筋攣候第十九、虚労驚悸候第二十(70)

H21.07.12:第60回日本東洋医学会学術総会報告「宮内庁書陵部所蔵の朝鮮活字本『纂図方論脈訣集成』について」

H21.06.14:第110回(2009年)日本医史学会学術大会報告「通行本『崔氏脈訣』と原書『玄白子西原正派脈訣』との異同について」

H21.05.10:巻三・虚労裏急候第十七(69)

H21.04.12:巻三・虚労無子候第十六[その2](68)

H21.03.08:巻三・虚労無子候第十六[その1](67)

H21.02.08:巻三・虚労上気候第十二、虚労客熱候第十三、虚労少気候第十四、虚労熱候第十五[その3](66)

H21.01.11:巻三・虚労上気候第十二、虚労客熱候第十三、虚労少気候第十四、虚労熱候第十五[その2](65)

H20.12.14:巻三・虚労上気候第十二、虚労客熱候第十三、虚労少気候第十四、虚労熱候第十五[その1](64)

H20.11.09:巻三・虚労寒冷候第六、虚労痰飲候第七、虚労四支逆冷候第八、虚労手足煩疼候第九、虚労積聚候第十、虚労癥瘕候第十一[その4](63)

H20.10.12:巻三・虚労寒冷候第六、虚労痰飲候第七、虚労四支逆冷候第八、虚労手足煩疼候第九、虚労積聚候第十、虚労癥瘕候第十一[その3](62)

H20.09.14:巻三・虚労寒冷候第六、虚労痰飲候第七、虚労四支逆冷候第八、虚労手足煩疼候第九、虚労積聚候第十、虚労癥瘕候第十一[その2](61)

H20.08.10:第109回(2008年)日本医史学会学術大会報告「国立公文書館内閣文庫所蔵の脈書『紫虚崔真人脈訣秘旨』について」

H20.07.13:巻三・虚労寒冷候第六、虚労痰飲候第七、虚労四支逆冷候第八、虚労手足煩疼候第九、虚労積聚候第十、虚労癥瘕候第十一[その1](60)

H20.06.08:巻三・第三〜五[その2](59)

H20.05.11:巻三・虚労不能食候第三、虚労胃気虚弱不能消穀候第四、虚労三焦不調候第五[その1](58)

H20.04.13:巻三・虚労羸痩候第二[その2](57)

H20.03.09:巻三・虚労羸痩候第二[その1](56)

H20.02.10:巻三・虚労候第一[その6](55)

H20.01.13:巻三・虚労候第一[その5](54)

H19.12.09:巻三・虚労候第一[その4](53)

H19.11.11:巻三・虚労候第一[その3](52)

H19.10.14:巻三・虚労候第一[その2](51)

H19.09.09:巻三・虚労候第一[その1](50)

H19.08.12:巻二・烏癩候第五十八、白癩候第五十九[その2](49)

H19.07.08:巻二・烏癩候第五十八、白癩候第五十九[その1](48)

H19.06.10:巻二・諸癩候第五十七[その4](47)

H19.05.13:巻二・諸癩候第五十七[その3](46)

H19.04.08:巻二・諸癩候第五十七[その2・補足論文:「「癘」についての一考察」](45)

H19.03.11:巻二・諸癩候第五十七[その1](44)

H19.02.11:巻二・第五十三〜五十六[その2](43)

H19.01.14:巻二・風瘙痒候第五十三、風身體蟲行候第五十四、風痒候第五十五、風■瘰候第五十六[その1](42)

H18.12.10:巻二・風瘙隱軫生瘡候第五十一、風瘙身體隱軫候第五十二注(41)

H18.11.12:巻二・悪風候第五十注[その2](40)

H18.10.08:巻二・悪風候第五十注[その1](39)

H18.09.10:巻二・悪風鬚眉堕落候第四十九注(38)

H18.07.09:巻二・第四十五〜四十八注ぁ複械掘

H18.06.11:巻二・第四十五〜四十八注(36)

H18.05.14:巻二・第四十五〜四十八注◆複械機

H18:04.09:巻二・風狂病候第四十五、風邪候第四十六、鬼邪候第四十七、鬼魅候第四十八注 複械粥

H18.03.12:巻二・五癲病候第四十四(33)

H18.02.12:巻二・風頭眩第四十二、風癲第四十三注(32)

H18.01.08:巻二・風氣候第三十八、風冷失聲候第三十九、中冷聲嘶候第四十、頭面風第四十一注(31)

H17.12.11:巻二・刺風候第三十四、蠱風候第三十五、風冷候第三十六、風熱候第三十七注(30)

H17.11.13:巻二・歴節風侯第三十、風身體疼痛候第三十一、風入腹拘急切痛候第三十二、風經五藏恍惚候第三十三注(29)

H17.10.09:巻一・風驚邪第二十六、風驚悸候第二十七、風驚恐候第二十八、風驚二十九注(28)

H17.09.11:巻一・血痺候第二十五注(27)

H17.08.14:巻一・風痺候第二十四注(26)

H17.07.10:巻一・風濕候第二十三注(25)

H17.06.12:巻一・風濕痺候第二十二注(24)

H17.05.08:巻一・風不仁候第二十一注(23)

H17.04.10:巻一・風軃曳候第二十注(22)

H17.03.06:巻一・偏風候第十九注(21)

H17.02.13:巻一・風半身不随候第十八注(20)

H17.01.09:巻一・風痺手足不隨候第十七注(19)

H16.12.12:巻一・風濕痺身體手足不隨候第十六注(18)

H16.11.14:巻一・身體手足不隨候第十五注(17)

H16.10.10:巻一・風四肢拘攣不得屈伸候第十四注(16)

H16.09.12:巻一・風偏枯候第十三注(15)

H16.08.08:巻一・風腲退候第十二注(14)

H16.07.11:巻一・風痱候第十一注(13)

H16.06.13:巻一・柔風候第十注(12)

H16.05.09:巻一・風口喎候第九注(11)

H16.04.11:巻一・風角弓反張候第八注(10)

H16.03.14:巻一・風痙候第七注(9)

H16.02.08:巻一・賊風候第六注(8)

H16.01.11:巻一・風失音不語候第五注(7)

H15.11.09:巻一・風舌彊不得語候第四注(6)

H15.09.14:巻一・風口禁候第三注(5)

H15.07.13:巻一・風癔候第二注(4)

H15.05.11:巻一・中風候第一注(3)

H15.04.13:『諸病源候論』解説◆複押

H15.03.09:『諸病源候論』解説 複院


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JUGEMテーマ:健康
| yoshioka49in | 資料室 | 19:20 | - | - | -
学会:日本鍼灸史学会、日本医史学会、日本東洋医学会
日本鍼灸史学会(旧 日本鍼灸臨床文献学会)
第19回(2011年):顧從本『素問』と早稲田大学所蔵本『素問』の比較(共同発表:岩手 中塚良則)、早稲田大学所蔵本『素問』と安政版『素問』の比較(共同発表:岩手 中塚良則)
第18回(2010年):顧従徳本『素問』と明刊無名氏本『素問』の比較(共同発表:岩手 中塚良則)、顧従徳本『素問』と安政版『素問』の比較(共同発表:岩手 中塚良則)
第17回(2009年):小鍼について
第16回(2008年):紅葉山文庫旧蔵明鈔本『幼幼新書』附録の脈書五種について
第15回(2007年):王冰注に見える孔穴条文と『甲乙経』巻之三の比較
第14回(2006年):死脈についての一考察
第13回(2005年):隋唐期以前に見える「痔」の鍼灸
第12回(2004年):『千金方』における少壮灸について
第11回(2003年):『千金方』における多壯灸について
第10回(2002年):姙娠の脈状の変遷
第9回(2001年):『太平聖惠方』巻第一における脈法
第8回(2000年):『察病指南』続考
第7回(1999年):『察病指南』について

日本医史学会
第113回(2012年):陽虚としての盗汗について
第112回(2011年):研医会図書館所蔵の脈書『切脈小言』について
第111回(2010年):耳聾について(抄録レジュメ
第110回(2009年):通行本『崔氏脈訣』と原書『玄白子西原正派脈訣』との異同について
第109回(2008年):国立公文書館内閣文庫所蔵の脈書『紫虚崔真人脈訣秘旨』について
第108回(2007年):癘についての一考察
第107回(2006年):国立公文書館内閣文庫所蔵の脈書『診脈要捷』について
第106回(2005年):出土医書に見る「痔」の一考察
第105回(2004年):『千金方』に見られる諸家灸法について
第104回(2003年):唐以前における姙娠の認識について
第103回(2002年):『甲乙経』における刺入深度・呼数の一考察
第102回(2001年):『頓医抄』における脈法

日本東洋医学会
第63回(2012年):国立国会図書館所蔵の浅井正贇著『身体和名集』について
第62回(2011年):研医会図書館所蔵の『五大論』について
第61回(2010年):人迎気口診の推移(抄録スライド
第60回(2009年):宮内庁書陵部所蔵の朝鮮活字本『纂図方論脈訣集成』について(ポスター

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中国医学関係

日本鍼灸史学会
旧日本鍼灸臨床文献学会。伝統的鍼灸に関する古典文献研究発表を通して伝統鍼灸の学理と歴史の解明を目的とする学会。鍼灸に携わる人々、あるいは関心を持つ人々による伝統的な鍼灸の問題を恒常的に扱う場であるので、多くの方の出演を願う。


關西鍼の會
關西鍼の會
日本鍼灸研究会関西部局。経絡治療の研修と古典文献の講読・研究が主体となっている。
日本鍼灸研究会の講座(短期集中講座)修了者の継続的な学習研究のための場所としても設定されている。毎月第2日曜日に大阪菅南福祉会館(菅南地域集会所)にて開催。


東京鍼の会
東京鍼の会
日本鍼灸研究会東京部局。経絡治療の研修と古典文献の講読・研究が主体となっている。
月例会をはじめ、古典講座として井上派の経絡治療の初学者を対象とした古典鍼灸基礎講座や本格的な古典文献講読である『霊枢』講座がある。
本会は、講座修了者の継続的な学習研究のための場所としても設定されている。毎月第4日曜日に新宿柏木地域センターにて開催。

竹内鍼灸院
日本鍼灸研究会東京部局(東京鍼の会)会員の竹内尚先生の治療院HP。井上系経絡治療を引き継ぐ数少ない治療家の一人です。気さくでありながら、治療は素早くきっちり、なんといってもそのギャップが魅力でしょう。
治療院は、市営バス・フジエクスプレスの「小港」駅より徒歩1〜3分。イトーヨーカドー本牧店の道路を挟んだ真向かいのグランテム本牧305号室。完全予約制のため、前もって予約して下さい。


鍼屋岩田
關西鍼の會(日本鍼灸研究会関西部局)会員、岩田夫妻の鍼灸院。兵庫県宝塚市仁川、阪急今津線「仁川駅」西口より徒歩4分、閑静な住宅街にあります。院は昭和情緒あふれる一軒家で、施術室は和室、かつベッドは一台のみと、ゆったり落ち着ける空間にしつらえられており、安心して治療を受けられる、言わば隠れ家的な鍼灸院です。

脉診流はりきゅう恵樹堂
大学陸上部時代の先輩・長岡寛樹氏の治療院HP。東洋はり医学会渋谷支部長。会のHPはこちら
治療院は、東急東横線・反町駅より徒歩7分、横浜市営地下鉄・三ツ沢下町駅より徒歩3分、市営バス横浜駅西口バス乗り場番より202・87・114系統・ガーデン下停留所下車すぐにあります。

希彩はり灸院
希彩はり灸院
脉診流はり灸・小児はり希彩はり灸院。大学陸上部時代の先輩・古屋公久氏の鍼灸専門治療院。長岡氏とともに東洋はり医学会にて日々研鑽されている。
治療院は、東武東上線・成増駅南口より徒歩一分、東京メトロ有楽町線・成増駅5番出口すぐのKOWA成増ビル5Fです。

博鍼灸院
博鍼灸院
管理人の大学の先輩・寺澤智博氏と後輩・寺澤聖子氏お二人の鍼灸専門の治療院HP。愛知県半田市白山町にて2007年5月に開院。院長の智博先生は、その体格以上におおらかな人格の持ち主で、安心して治療を受けられるだけでなく、些細なことにも耳を傾けてくれます。また、聖子先生も院長に負けず劣らず体格・人格ともにしっかりとしていますし、院長に言いづらい女性の方特有の悩み相談やデリケートな事情のある時には、彼女が多いに力になってくれます。


パクス・テルレーナ治療院
横浜市西区平沼にある電話予約制の女性専用治療院。治療は鍼灸とアロマセラピーをする。HPのコラムは充実しており、見応えがある。女性の先生に診て欲しい、きれいな治療室で落ち着いて診察を受けたいという女性にはお勧め。人気が高いので、予約はお早めに。

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今月の言葉(2010年1月)

 「相守数年、以争一日之勝」 『孫子』用間篇より

「相い守ること数年にして、以て一日の勝を争う」

戦とは、長年にわたって敵と対峙した果てに、一日の決戦を争うものである。
治療もまた、長年にわたって自己の身体〔の状態*1〕と向き合った果てに、成否を決するものである。

計篇冒頭に「兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也(兵とは国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからず)」とあるように、戦は国の存亡に関わる大事である。
人においては、治療ということになるが、長い目で見れば、人生(生活)そのものと言うことができる。ふさわしい死、というものがあるのかわからないが、できれば大病無く、老衰でおいとましたい、と思うのが心情だろう。だから、病の治癒もさることながら、いまわの際まで元気に過ごせること、それを人における勝ちと考えたらよいのだろう。

そのためには何をするべきか。
故明君賢将、所以動而勝人、成功出於衆者、先知也(故に明君賢将、動きて人に勝ち、成功の衆に出ずる所以の者は、先知なり)」と言い、また謀攻篇の最後で「知彼知己者、百戦不殆(彼を知りて己を知る者は、百戦して殆うからず)」*2と締めくくられるように、行動を起こして勝ち、それも人なみ以上の成功を収めるには、なによりもまず敵情を知〔り、また己を知り、そうして敵に負けない形勢を作って開戦す〕る必要があるのだから、賢明なる君主・将軍は、「先知」を必ず実行するのである。
だから、「而愛爵禄百金、不知敵之情者、不仁之至也、…非勝之主也(而るに爵禄百金を愛(おし)み、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり、…勝の主に非ず)」と言うように、もし経費を惜しみ、敵情を知ることを怠るのなら、それは不仁の極みであり、もはや勝の主ではない、とまで批判されるのである。

要するに、勝つためには相応の国費を投じて*3、敵情を常に把握しておく必要がある(そもそも敵情を知らなければ、何もできない)。
身体の状態を把握しておくためには、ある程度の経費が必要となるのは言うまでもない(素人判断は、暗い夜道をあてもなくさまように同じ)。

では何によって敵情を把握するか。
先知者、不可取於鬼神、不可象於事、不可験於度、必取於人、知敵之情者也(先知とは、鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験ずべからず、必ず人に取りて、敵の情を知る者なり)*4」と言うように、敵情は、鬼神(占いや祈祷、あるいは祟りや人知を越えた何か)*5でもなく、事類(事象に比するもの)でもなく、天地自然の理でもなく、まったく敵(人)のことであるが故に、必ず間者(人)を使って敵情を探らねばならない。
身体の状態も同様に、鬼神でもなく、事類(他人の状態と比するもの*6)でもなく、天地自然の理でもなく、ひとりその人のことである。だから、ほかでもない、身体の状態を診る専門の治療者が、その任にあたることになる。

ふさわしい死を望むことが、賢明、かどうかはわからないが、身体の状態に向き合い続けることは、あながち無駄ではないだろう。それには、相応の予算を以て、間者たる治療者を雇い入れること、「先知」が肝要なのである*7

孫子曰く「不可不察也」と。


*1:中国医学では、病を、すべて身体内部(五蔵や経脈)の陰陽五行的関係の不調和として捉える。それは、身体全体の問題として診るということで、病変部だけの問題として処理(手術で取り除いたり、薬で抑えたり、またウイルスや細菌などを除去)すれば済むと、考えないということでもある。実は、生きていることを、虚(五蔵の消耗=蔵虚、陰虚)といい、それ自体を病として見なすのである。だから、不摂生しても、摂生しても、たとえ治療しても、つまり何をしても、程度の差こそあれ、虚していくことには変わりない。私たちは、時間とともに進む虚からは決して逃れられないのである。
近ごろ、一般に知られてきている「未病」という状態は、警告のようなもので、それ以上の意味はない。これに類する「平」という状態も、同様である。中国では、すべてのもの(万物)は常に変化し、流動していると見なす以上、もっと言えば、陰陽の偏向、五行関係の不均衡〔という関係の偏り〕を見る以上、変化のない均衡の取れた「平」や虚の進まぬ「未病」は、成立し得ない(変化しないものは、ないに同じ)。
これらは、身体における陰陽や五行の関係が、常に崩れ、また崩れていく、という認識と、その不均衡を緩和し続けることが、生きるうえで、また治療するうえで重要な意味を持つという認識の、その対極として作られた理想像と見ることができる(その代表が「聖人」であり「上古之人」である)。
*22009年2月の言葉で取り上げた。合わせて参照されたい。
*3:国の財政については、2009年5月の言葉(作戦篇「不尽知用兵之害者、則不能尽知用兵之利也」)で取り上げた。合わせて参照されたい。
*4:唐・杜牧注「象者、類也。言不可以他事比類而求(象は、類なり。言うこころは、他事を以て比類して求むべからず)」、宋・梅尭臣注「鬼神之情、可以筮卜知。形気之物、可以象類求。天地之理、可以度数験。唯敵之情、必由間者而後知也(鬼神の情、筮卜を以て知るべし。形気の物、象類を以て求むべし。天地の理、度数を以て験するべし。唯だ敵の情、必ず間者に由りて後に知るものなり)」。
*52009年10月の言葉(九地篇「禁祥去疑、至死無所之」)の注2を今そのまま引く。古くは『呂氏春秋』尽数に「今世上〔宋・黄震『黄氏日抄』巻五十六・十二紀作「尚」字〕卜筮祷祠、故疾病愈来。譬之若射者、射而不中、反修〔一作循〕于招〔一作的〕、何益於中。(今の世上、卜筮祷祠す、故に疾病愈いよ来たる。之れを譬えて射者、射りて中らず、反って招を修む〔反って的を循わしむ〕若し。何ぞ中つるに益せん。)」とあり、占いや祈祷を尊ぶは、まるで矢を射る者が、的を射ることができないのを的のせいにしているも同じで、疾病にはしかるべき治療を施すものだ、と揶揄している。医書では、『素問』五蔵別論や移精変気論、『霊枢』口問に、疾病の原因は、「鬼神(祟りや人知を越えた何か)」ではなく、必ず日々の生活にあり、したがって「祝由(まじない)」ではなく、湯液・鍼灸により治療せよ、といったことが述べられている。
*6:言うまでもなく、他人と自分は、同じではない。年齢、性別、置かれた環境などなど、なにもかもが異なる。人が違い、そして背景が違うのだから、たとえ似たような病を得ても、またそれが同一の病名であっても、それはもとより同じでない。
*7:2010年2月の言葉では、引き続き間者の役割(どう敵情を探るか)について述べる。

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今月の言葉(2009年12月)
「勝可知、而不可為」 『孫子』形篇より

「勝は知るべし、而して為すべからず」

勝ちを知る(勝つための態勢作りや、そのための作戦を練る)ことはできても、〔相手があること故に〕それを無理に成し遂げることはできない。
治療もまた同じく、治療者は予後を知る(病状をつぶさに診察し、病態に応じた治療方針を立て、それによる経過を予測する)ことはできても、〔患者の意思や事情があること故に〕その通りに事を運ばせることはできない。

先月の言葉(『孫子』九地篇「能愚士卒之耳目、使之無知」)の最後(注)に「種々雑多な情報を正確に理解し、選んだ治療方法に納得することは、方法が一つであるのと何ら変わるところはない。これが、「もうこの治療にかけるしかないという状況」であり、また「そう固く決意するという境地」に至った、と言ってよいだろう。とはいえ、あくまでも理想の話で、実際にはまだまだ難しい事情がある。」と書いたが、ごく簡単に言えば、こういうことである。

どんなに明確に、そして根気強く説明しても、それに納得しなければ、それまでである。頭で分かることと、納得することの間には、画然たる違いがある。そもそも、人は人に説得されるものではない。なにしろ人は、したいことを心ゆくまでしつくしてはじめて、良くも悪くも身を以てそれを実感することができ、そうして欲求を満たした果てに、ようやく拘っていた物事について客観的に評価することができるようになるのだから。結果はどうであれ、体験を通して納得すること、それを諦めといってもよいが、そうした状況に陥ることが、皮肉ではあるが、本当の意味で「もうこの治療にかけるしかないという〔まさに背水の陣という〕状況」に至るための、絶対条件なのである。

アトピー・喘息・鼻炎(花粉症を含む)などのアレルギーやうつ病・パニック障害などの精神疾患などといった治療に時間を要する難病*1には、その難しさ故に、その場をなんとかやり過ごすための種々雑多な対症的な治療(対処)法や健康法が氾濫している。こうした悩ましい状況下で、根本的な治療をしていく鍼灸のみを選択することは、まったく困難というよりほかはない。が、雑多な方法をそれなりに試したあげくに失敗し、それらに絶望した人ならば、大げさではなく、最後の望みをかけて、とことん治療に打ち込むことも可能になるだろう*2
なにしろ、「その場しのぎにガタガタしても、問題が先延ばしになるだけで、するだけ無駄」ということ、つまり「早く治したいと思おうが思うまいが、悪化させることはあっても、すぐに良くなるものではない」ということを、身を以て実感できたのだから。

「難しい病」であることを認め、受容すること、これぞ良い意味での「諦めの境地」*3と言うべきである。

病者が、迷うことなく、地道に治療を続けるための準備が、ようやく完了する*4

孫子曰く「昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝(昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ)」*5と。

故に、治療者の手腕とは、できうる限りの対策を講じ、病者が納得するまで待つことである。


*1:これに対して、風邪やインフルエンザ(新型を含む)、ぎっくり腰、寝違い、捻挫などのような急激かつ一時的な病は、たびたび述べてきたように、慢性化(長期化)を防ぐためにも、いっき(ごく短期間)に症状を解消させるための、相応の治療を施す。痛みの治療、それも緩和を主な目的とするものとして浸透しているようであるが、本来、鍼灸の守備範囲は極めて広い。
*2:時間をかけて地道に根本的な解決を目指す、鍼灸による治療は、様々な努力(生活習慣の改善や即座に緩和されぬ症状への理解など)がいるために、病者にとって極めて能動的な行為であり、自力で行っていく要素が強い。他方、症状の一時的な緩和(と自己の安心)を目的とした、薬やサプリメントなどの服用や塗り薬の塗布による対処は、すべて薬の効用に頼るために、極めて受動的な行為であり、他力の要素が強い。他力は、安易であるが故に気楽にはじめられるが、依存性が強く、やめるのにも相当の決意がいり、様々な苦労(副作用や再発への不安感)が伴う。その点、自力で継続しなければならない鍼灸は、それだけ依存性が弱く、あっさり中止できる。なにしろ能動的な行為なのだから。
「最後の望みをかけて、とことん治療に打ち込む」ことができるようになるには、それなりの代償も必要なのである。
ところで、治療者にとって(実は病者にとって)、もっとも難しいケースは、鍼灸と服薬の同時並行である。いずれ止めるべき服薬であるが、いざその段になると、すでに述べたように、それによる副作用や症状の再発、悪化への強烈な不安感が伴い、病者を極度に苦しめる。最悪は、せっかく重ねてきた鍼灸の治療を放棄してしまい、元の木阿弥ということも少なくないから、細心の注意を要する。
それから、同時並行にはもう一つ大きな問題がある。それは、しばらく続けても、病者が期待していたような結果が得られない場合には、一体どうするのかということである(すでに述べてきたように、すぐに結果が得られると考えること自体が問題であるが、今はそれを置いて)。例え結果がよくても、先の服薬中止の恐怖が待っているし、それをクリアしたとしても、また同じことを繰り返したときに、何を選べばよいかわからない。つまり、「効けばなんでも良い」という病者の思いは分かるが、何が良いのか、また良かったのかという評価をまったく下せないため、病者には何も残らないのである。致命的である。そもそも、一本化できないことそれ自体が、大きな迷いや不安の現れであり、それはやがてすべてを狂わす危険をはらんでいる。根気強い説明は当然として、しかし、最後は、病者が納得するのを待つしかない。
やはり、ベストは「もうこの治療にかけるしかないという〔まさに背水の陣という〕状況」に至った後に、鍼灸による治療を開始することである、がそう思うようにはならないのが現実である。
日々、治療者の手腕が問われている。
*3:病は、誰がどう思おうと、死と同様に、なんの斟酌もなくやってきて(実際には身の内より生ずるのだが)、悪化するべきは悪化し、治癒すべきは治癒する。けれども、すぐ治る軽い病は短期間で治り、すぐに治らない重い病はそれだけ長期的な治療が必要になる、という当たり前のことを、当たり前のこととして理解することは、思いのほか時間を要するものである。
*4:もちろん、最初から鍼灸のみという理想的な病者もいなくはないが、ごくまれであり、極めて少ない。迂遠なようであるが、程度の差こそあれ、こうした段階を経なければ、本気で治療に取り組むことは難しいし、できないことがほとんどである。
とはいえ、治療のスタートラインに立つのが遅ければ遅いほど、それだけ病はこじれ、慢性化してしまうことが多く、治療期間も相応に必要となるし、最悪は完全な治癒が難しくなることも否めない。病者をできるだけ早く治療に専念できる状況に誘導することが治療者の手腕である、ということは2009年11月の言葉(九地篇「能愚士卒之耳目、使之無知」)ですでに述べた通りである。
*52008年4月の言葉にて取り上げた。合わせて参照されたい。


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今月の言葉(2009年11月)
「能愚士卒之耳目、使之無知」 『孫子』九地篇より

「能く士卒の耳目を愚にし、之れをして知ること無からしむ」

これは「将軍之事」、つまり将軍の重要な仕事の一つであるが、兵士の耳目を閉ざして、あらゆる情報を知らせないようにするという。先月予告した治療者の手腕に通ずる。
後ろ向きな物言いと思われるかもしれないが、極めて合理的な考え方である。思うに、今の時代にもっとも必要な発想ではなかろうか。

当たり前だが、与えられる情報が一つなら、〔比較する対象がないために〕迷いようがない。それと同じで、進むよりほかに道がない状況に陥れば、その結果、不安や恐怖はあっても「不得已則闘(已むを得ざれば則ち闘う)」(同篇)ことになるし、負の感情があるからこそ〔それから逃れんとして〕必死にもなれるのである。

けれども、種々雑多な情報を大量かつ容易に入手できる現代においては、病者の耳目を愚にすることは到底無理である。そもそも病者には、専門的な知識がなく、そのうえ健常時の正気を少なからず損なっているのだから、ただでさえ判別の難しい情報群を正確に判断することは困難である。ましてや刻々と変化する病状に応じたよりよい選択をするなど、ほとんど無理である。事態はいよいよ悪い。
病者一人では、迷いに迷わなければならず、たとえ何かを選んでも、いくつもの情報が頭にあるために、常にそれらが気にかかり、それらの方がよいのではという疑念が次々と起こるだろうし、またそうした疑念はそう容易くかき消せるものではない。一つしか情報がない時の不安や恐怖とは別の、それをはるかに越えた不信や恐怖に苛まされることになるだろう。

焦燥感に駆られ、する必要もない葛藤に永遠と苦しむ道が、あらかじめいくつも用意されているのである。

様々な可能性を持つ道も、道案内の同伴者がいなければ、迷路となりイバラの道となる。

そこで、いよいよ同伴者たる治療者の手腕が問われることになる。
先月述べたように、「もうこの治療にかけるしかないという状況」を作り、また「そう固く決意するという境地」に至るよう導くことが、治療者の大切な仕事の一つである。

言うまでもなく、治療者の手腕が試される状況とは、理由はどうであれ、すでに病者により選ばれた段階にあり、病者にとっては大きな決断を下した時である(これは最も尊重されるべきことで、治療者そして病者本人もその決断を無下にしてはならない)。が、多くの場合は、いまだ半信半疑であり、様子をうかがっているところでもある。

治療の開始からできるだけ早い時期に、こうした不安定な心情を落ち着かせることが重要なのである。

そのためには、効果を即座に実感することが一番であろうが、そう簡単に治るような病状であることは少なく、ほとんどの場合が慢性的な病であるために、数ヶ月から長いものでは数年の期間を必要とするから、残念ながら落ち着かせる要素にはほとんどならない(そう言うと、余所で知り得た玉石混淆の情報群が頭を支配して、様々な疑問や不安がさらに増大することは避けられないではないか、という指摘を受けそうであるが、ほかにもっと大事なことがある)。

では、何が求められるのか。

それは、第一に病状とそれに対する治療の方針・方法、今後の経過予測(予後)などの明確な説明とその理解を得る努力をすることである。病者の理解なくしては、治療は成り立たない。
第二に様々な疑問や不安に答えること。許多の治療方法を知識として得ているばかりに、それが仇となり、別によい方法があるのではないかという考えが、頭の片隅にこびりついて離れないのが普通である。どんな些細なものであっても、それらをくみ取り、丁寧に一つ一つ解消していかなければ、治療の継続はもとより、その先にある病の改善は望むべくもない。

病者の耳目を愚にするとは、種々雑多な情報を正確に処理させ、選んだ治療方法に納得して取り組ませることである*


*:種々雑多な情報を正確に理解し、選んだ治療方法に納得することは、方法が一つであるのと何ら変わるところはない。これが、「もうこの治療にかけるしかないという状況」であり、また「そう固く決意するという境地」に至った、と言ってよいだろう。とはいえ、あくまでも理想の話で、実際にはまだまだ難しい事情がある。次回はこの問題を中心に、引き続き治療者の手腕について述べる。


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今月の言葉(2009年10月)
「禁祥去疑、至死無所之」 『孫子』九地篇より

「祥を禁じ疑を去らば、死に至るまで之く所無し」*1

占いを禁じることで様々な疑念や邪念を去ることができれば、〔兵士たちの〕心は死ぬまでぶれることはない、という。
あるいはまた「投之無所往、死且不北(之れを往く所無きに投ずれば、死すとも且た北げず)」ともいい、兵士を行き場のない窮地に投入すれば、死すとも敗走することはない、というのである。

これらは、「凡為客之道(凡そ客為るの道)」、つまり敵国に進軍した場合の戒めであり、治療にも通ずる。
一見すると残酷な物言いと思われるかもしれないが、次の理由により納得できるのではないだろうか。

兵士甚陥則不懼、無所往則固、深入則拘、不得已則闘。(兵士、甚だしく陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち戦う。)」と。

多くの場合、窮地に陥れば冷静さを失い、焦り、判断を誤るものである。けれども、それはまだまだ迷えるだけの余裕のある窮地であって、絶体絶命の状況ではない。ここで言う窮地とは、もう進む以外に選択する余地の無い状況を意味している。
その中にあっては、兵士の拠り所となって心に隙を作る占いは、まったく厳禁である。せっかくの背水の陣も、水泡に帰すことになるのだから。

治療も然り。病者にとっては、治療を成功させたい一心で、占いや祈祷に一縷の望みをかけたくもなるのもわかる*2*3。しかし、それは治療に専念できていないことの現れであり、迷いを増大させるはじまりでもある。裏返せば、まだ何らかの疑念があることを意味し、また右往左往できるだけの急迫した状況にないことを示している。

病者における行き場のない窮地とは、もうこの治療にかけるしかない、という状況であり、また、そう固く決意するという境地に至ることにほかならない。そして、病者をそこにうまく導くのが、治療者の手腕なのである*4


*1:「祥」とは、西晋・杜預が『左伝』僖公十六年「是何祥也」に注して「吉凶之先見者(吉凶の先ず見わる者なり)」といい、また唐・杜牧が黄石公曰くとして『三略』中略に引かれる『軍勢』の一節を引いて「禁巫祝、不得為吏士卜問軍之吉凶(巫祝を禁じ、吏士が為に軍の吉凶を卜い問うことを得ざらしむ)」と本節に注しているように、占いのこと。
*2:古くは『呂氏春秋』尽数に「今世上〔宋・黄震『黄氏日抄』巻五十六・十二紀作「尚」字〕卜筮祷祠、故疾病愈来。譬之若射者、射而不中、反修〔一作循〕于招〔一作的〕、何益於中。(今の世上、卜筮祷祠す、故に疾病愈いよ来たる。之れを譬えて射者、射りて中らず、反って招を修む〔反って的を循わしむ〕若し。何ぞ中つるに益せん。)」とあり、占いや祈祷を尊ぶは、まるで矢を射る者が、的を射ることができないのを的のせいにしているも同じで、疾病にはしかるべき治療を施すものだ、と揶揄している。医書では、『素問』五蔵別論や移精変気論、『霊枢』口問に、疾病の原因は、「鬼神(祟りや人知を越えた何か)」ではなく、必ず日々の生活にあり、したがって「祝由(まじない)」ではなく、湯液・鍼灸により治療せよ、といったことが述べられている。
*3:現在では、古代に比べさらに事情が複雑になっていると言わねばならない。占いや祈祷よりも、もっと事をややこしくさせるのが、種々の治療方法があるという選択肢の多さである。それも、インターネットで検索すれば容易に情報を得ることができるため、それだけ悩みの種も増すことになる。増加の一途をたどる情報群、それも玉石混淆であるから、精査し選び取ることは、まさに至難の業である。ただでさえ窮地に陥っているところにこの状況は、藁にすがるどころではなく、苦痛以外のなにものでない、と思うのは私だけだろうか。
*4:この手腕については、来月と再来月の言葉にて詳しく述べる。

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勉強会:關西鍼の會(銭超塵『内経語言研究』訳注、上編 訓詁)
◆銭超塵『内経語言研究』訳注
●上編 訓詁
H21.11.08:その32(第一章 第二節 一、注釈派 (五)張介賓『類経』 96頁17行〜97頁31行目 訳注:上田善信 補注補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H21.09.13:その31(第一章 第二節 一、注釈派 (五)張介賓『類経』 95頁01行〜96頁16行目 訳注:上田善信 補注補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H21.06.14:その30(第一章 第二節 一、注釈派 (五)張介賓『類経』 93頁24行〜94頁31行目 訳注:岩田源太郎 補注補訳:上田善信 再補訳註:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H21.04.12:その29(第一章 第二節 一、注釈派 (五)張介賓『類経』 92頁05行〜93頁23行目 訳注:岩田源太郎 補注補訳:上田善信 再補訳註:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H21.03.08:その28(第一章 第二節 一、注釈派 (四)馬蒔『黄帝内経霊枢註證発微』 89頁23行〜91頁10行目 訳注:橋本典子 (五)張介賓『類経』 91頁12行〜92頁04行 訳注:岩田源太郎 補注補訳:上田善信 再補訳註:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H21.02.08:その27(第一章 第二節 一、注釈派 (四)馬蒔『黄帝内経霊枢註證発微』 86頁01行〜89頁21行目 訳注:橋本典子 補注補訳:上田善信 再補訳註:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H21.01.11:その26(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 3.注釈の筋道は綿密で、ことばの解釈は簡潔にして法則があること 84頁15行〜85頁30行目 訳注:上田善信 補注補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H20.12.14:その25(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 3.注釈の筋道は綿密で、ことばの解釈は簡潔にして法則があること82頁08行〜31行目 訳注:田中利江子 83頁01行〜84頁14行目 訳注:上田善信) 補注補訳:上田善信 再補訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H20.11.09:その24(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 2.『素問』改編の五代原則78頁24行〜82頁08行目)訳注:田中利江子、補注補訳:上田善信 再補訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H20.10.12:その23(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 2.『素問』改編の五代原則77頁14行〜78頁23行目)訳注:田中利江子、補注補訳:上田善信 再補訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H20.07.13:その22(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 2.『素問』改編の五代原則74頁23行〜77頁13行目)訳注:永嶋泰玄 補注補訳:上田善信 再補訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H20.05.11:その21(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 1.注釈中の道家思想の体現72頁08行〜74頁23行目)訳注:永嶋泰玄 補注補訳:上田善信 再補訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H20.03.09:その20(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 1.注釈中の道家思想の体現69頁23行〜69頁28行目)訳注:吉岡広記 補注補訳:上田善信 (69頁29行〜72頁07行目)訳注:大井康敬、補注補訳:上田善信 再補訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H19.11.11:その19(第一章 第二節 一、注釈派 (三)王冰『素問』注 1.注釈中の道家思想の体現66頁26行〜69頁22行目)訳注:大井康敬 補註補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市 

H19.07.08:その18(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 6.『太素』注における訓詁上の欠点[その4]62頁18行〜63頁15行目)訳注:岩田源太郎 補註補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市/(承前 (三)王冰『素問』注 1.注釈中の道家思想の体現63頁17行〜66頁25行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H19.06.10:その17(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 6.『太素』注における訓詁上の欠点[その3]61頁27行〜62頁17行目)訳注:岩田源太郎 補註補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H19.05.13:その16(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 6.『太素』注における訓詁上の欠点[その2]61頁02行〜61頁26行目)訳注:岩田源太郎 補註補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H19.03.11:その15(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 5.『太素』注における反切の考察[その2]58頁14行〜59頁25行目)訳注:橋本典子 補注補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市/(承前 6.『太素』注における訓詁上の欠点[その1]59頁26行〜61頁02行目)訳注:岩田源太郎 補註補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市)

H19.02.11:その14[その2]

H19.01.14:その14(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 4.小学を根拠とした明解流暢にして正確な注釈[その3]52頁16行〜54頁13行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市 /(承前 5.『太素』注における反切の考察[その1]54頁14行〜57頁20行目)訳注:橋本典子 補注補訳:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.12.10:その13(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 4.小学を根拠とした明解流暢にして正確な注釈[その2]46頁23行〜52頁15行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.11.12:その12(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 4.小学を根拠とした明解流暢にして正確な注釈[その1]44頁26行〜46頁23行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.10.08:その11(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 3.反伝統的な「心不受邪」の説42頁19行〜44頁25行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.09.10:その10(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 2.楊上善の世界観39頁21行〜42頁18行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.07.09:その9(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 2.楊上善の世界観37頁02行〜39頁20行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.06.11:その8(第一章 第二節 一、注釈派 (二)楊上善『太素』 1.楊上善の時代と著作33頁06行〜37頁01行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.05.14:その7(第一章 第二節 一、注釈派 (一)全元起『素問訓解』29頁18行〜33頁05行目)訳注:田中利江子 補訂・補注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.04.09:その6(第一章 第二節『内経』訓詁の二大流派 一、注釈派 
(一)全元起『素問訓解』22頁05行〜29頁17行目)訳注:田中利江子 補訂・補注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.03.12:その5(第一章 第一節 三、『霊枢』という書名の意味17頁18行〜22頁03行目)訳注:永嶋泰玄 補訂・補注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.02.12:その4(第一章 第一節 三、『霊枢』という書名の意味13頁26行〜17頁17行目)訳注:永嶋泰玄 補訂・補注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H18.01.08:その3(第一章 第一節 二、『素問』という書名の意味08頁04行〜13頁25行目)訳注:吉岡広記 監訳補注:篠原孝市

H17.12.11:その2(第一章 第一節 一、『内経』という書名の意味03頁16行〜08頁03行目)訳注:篠原孝市

H17.11.13:その1(前言、第一章『内経』の訓詁学的研究の歴史的総括 第一節『内経』の書題の解明01頁01行〜03頁15行目)訳注:篠原孝市


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今月の言葉(2009年9月)
「故知兵者、動而不迷、挙而不窮」 『孫子』地形篇より

「故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず」

戦のことに通じた者は、軍を動かしても合戦しても、その局面において迷うことも窮することもないという。
これになぞらえれば、医に通じた者は、ひとたび治療をはじめれば、その最中に迷い困ることはない、ということになるだろう。

では、通じるべき戦のこと(道理)とはいかなるものであろうか。
続けて引かれる故言がそれである。

知彼知己、勝乃不殆。知天知地、勝乃可全(彼を知りて己を知れば、勝は乃ち殆うからず。天を知りて地を知れば、勝は乃ち全うすべし)」と*1

敵状を把握し、かつ自己の状況を知ることで、〔敵との力関係=「形勢」を見極め、常に形勢有利な状況=「敵<己」になるよう策を講じて、必ずそうなるのを待って戦をするのだから〕勝ちは間違いなく、さらに天地自然の在り方を知りつくしていれば、〔置かれている地形や気候の状況、季節の巡りに応じた戦略が立てられるし、そのために有利な時や場所を臨機応変に選んで合戦できるから〕なおさらである、というのである*2
治療においては、病状を的確に診断するために、あわせて病者の生活状況(食事、住環境、仕事、人間関係など)や症状の時間的な変化(昼夜、天候、季節など)をつぶさに調べることが第一となる。そうして病勢を見極め、それに応じて病勢を衰えさせるための様々な策(治療に限らず、病の原因となる生活状況の改善の指示など)を講じて、病に勝る状態(「病>己」から「病<己」)になるよう仕向けていくのである。

『孫子』では、「戦わずして勝つ」ことを第一とするが、そのために「敵<己」という形勢有利な状況を常に保つ内政的な戦略が最も重要となる。裏を返せば、そうした状況を作れば戦をする必要もなく相手を屈することができるし、例え戦をしても負けることはないという考えが底流にある。
治療もこれに同じく、「病のない状態を保つ」ことが第一となるが、実際にはそうすることは難しい。しかし、基本戦略は「病>己」から「病<己」という状況を内政的な治療によって目指すことであり、具体的には病の原因を日々生産する様々な生活状況の改善と治療によっていわゆる自然治癒力を向上していくことである。したがって、直接的(攻撃的)な病所への治療は、謀攻篇に「攻城之法、為不得已(攻城の法は、已むを得ざるが為めなり)」というように、攻撃する以上は双方が痛手を負うため(人にあっては大きな負担があるため)、最終的な手段としておこなうもので、滅多にすることはないのである*3

もし、こうした道理を十分に理解していなければ、正確な状況判断ができないために、勝てるものも勝てなくなるし、また不利な状況であるにも関わらず迷走して負けを喫することになる。
正確に病状の診断ができなければ、目先の症状に惑わされ、病状に合わない直接的な治療を多用して、するべき内政的な治療を怠ることになり、治るものも治らなくなるし、そのために病者も治療者も治療に迷い窮することになる。

これを「無謀」という。

だから、こうした道理を熟知したうえでの行動は、正確な状況判断(診断)と的確な計略(治療方針)に支えられているために、「動而不迷、挙而不窮(動いて迷わず、挙げて窮せざる)」状況を作れるのである。



*1:これに違えば、「知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也。知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也。知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戦、勝之半也。(吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も敵の撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知るも、而も吾が卒の以て撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知り、吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も地形の以て戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。)」というように、勝てる保証はなくなる。まとめれば、仝覆僚猗が万端であっても、敵がそれ以上に備えている場合、敵に備えがなくすきだらけであっても、同様に己の準備が不十分である場合、E┐鉾えがなく、己は準備万端であっても、戦をするべきでない不利な土地(状況)である場合の三つであるが、これらは戦の道理を支える基本原則であるから、忘れてはならない。
*2:関連の深い2008年3月(形篇「古之所謂善戦者、勝於易勝者也。…勝兵先勝而後求戦」)、4月(形篇「昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝」)、6月(虚実篇「夫兵之形象水」)、11月(同篇「夫地形者、兵之助也」)、2009年2月(謀攻篇「知彼知己者、百戦不殆」)の言葉をあわせて参照されたい。
*3:力攻めである病所への直接的な治療の代表格は、なんといってもガンや骨折などの外科手術であるが、技術が進歩しているとはいえ、体を傷つけることには変わりなく、少なからず負担を伴うものである。鍼灸についていえば、風邪やインフルエンザ(≒傷寒)などのいわゆる外邪による急で激しい病を、即座に解消するために、外邪を取り除く瀉法という治法をおこなう。このほか、病所への直接的な治療といえば、ぎっくり腰(主に湿邪)や寝違い(風邪)などの、動かして痛みが出る(動作時痛)、ないし痛みがあるために動かせない(可動域制限)という、やはり急で激しい症状の場合に、それらを素早く解消するために病状に応じて病所への施術を適宜おこなう(力攻めであることを忘れ、欲を出して必要以上に施術すれば、当然の帰結として悪化させることになる。細心の注意を要す)。こう書くと、「慢性的な痛みやコリ」にはどうかと問われそうだが、その痛みやコリの原因が、その部位を酷使したこと(肉体疲労)であるならともかく、ほとんど日々の生活(精神疲労)によってそれとは別のもっと深い内部(中国医学ではそれを「五蔵」という)が疲弊して、結果的に特定の浅い表の部位に症状が出ているだけなのだから、局所の治療をしても、その一瞬はよいかもしれないが、「おおもと」を治療しないのだから、畢竟徒労に終わる。
そもそも、痛みやコリに限らず、外傷を除けば、あらゆる症状を引き起こす要因は、精神疲労といっても過言ではない。最初は自然治癒力によって解消され軽いもので済むが、それも次第に及ばなくなり、だんだんと疲労が積み重なっていき、治りも悪くなり、慢性化していく(それに、加齢とともに自然治癒力は弱まっていくのだから、なおさらである)。もっと蓄積すれば、相応に症状も増え、重さを増すことだろう。したがって、日々の疲労の蓄積を、いかに解消させていくかが重要な課題となることは、もうおわかりだろう。内政的な治療を基本戦略とする理由は、ここにある。

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今月の言葉(2009年8月)
「主不可以怒而興師、将不可以慍而致戦」 火攻篇より

「主は怒りを以て師を興すべからず、将は慍(いきどお)りを以て戦を致すべからず」

君主も将軍も、憤怒にまかせて、いたずらに軍を興し合戦をするべきではないという。
同じく病者も治療者も、思いにまかせて、いたずらに治療するべきではない。

そもそも、憤怒に燃えてしまうような状況、もっといえば悲嘆や喜楽に過ぎるような状況は、いずれも感情に過度の起伏(ブレ)を生じさせ、つまり冷静さを失わせるため、決してよいものではない*1
治療についていえば、感情を揺すぶる状況とは、病苦(病状)にほかならない。この病苦を快方に向かわすには、まず病者の前向きな心持ちがおおきな意味を持つが、それは病苦(にさいなまされる自身)と対峙する「不動の決心」ともいうべきもので、これこそが病苦における冷静さなのである。こうして治療に望むのがよい。治療者もまた、いかなる病状(や病苦を訴える病者)にも動揺せず、落ち着いて診察しなければならない。
要するに、気持ちがおおきく動揺する局面での行動には、いうまでもなく平生以上の冷静さが求められるのである。そのような時に感情の命ずるままに動けば、事がどう展開するかはまったくわからないし、多くの場合、冷静さを欠いた行動は失敗に終わるのだから。

では、冷静な行動とはいかなるものか。

それは、「合於利而動、不合於利而止(利に合えば而(すなわ)ち動き、利に合わざれば而ち止む)」ということである。「利」とは、利害得失、勝算のことで、冷静に利害得失や勝算を計り(状況を判断し)、それに応じた適切な行動を取ることがなによりも大切なのである。
治療においては、病の正確な診察と診断(病状と予後の判断)、それにもとづく治療法の選択のことで、そこにはいかなる感情も入り込む余地がない*2

人は、特に窮地に陥れば、冷静さを失い、焦り、判断を誤るものである。そして無謀にも、利益も勝算もないのに不用意に動き、損失を被り負けを喫して、いっそう弱みは増し、つけ込まれる隙をさらに広げてしまう。ただでさえ分が悪いのに、自らの首をさらに絞めていく。まさに自滅である。
病者も、病状が悪ければ、冷静さを失い、不安と焦りの中で、その場を逃れたい一心で「藁にすがる」過ちを犯すことが多々ある*3。病には、戦と同じく形勢がある。それを病状というが、病者や治療者の思いとはまったく無関係に、病勢の有無によって悪化すべきは悪化していき、改善すべきは改善していく。病状の判断は、軍師たる治療者が冷静にかつ客観的に行うべきものであり、病者が主観的に判断することは危険である*4

怒可以復喜、慍可以復悦、亡国不可以復存、死者不可以復生(怒りは復た喜ぶべく、慍りは復た悦ぶべきも、亡国は復た存すべからず、死者は復た生くべからず)」というように、(いつまでも悪い状況が続くわけではなく、したがって)憤怒は一時的な感情の高まりに過ぎず、いずれは(状況が好転して)喜楽に戻るが、もし一時の激情にまかせて動いたことで失敗し、ひとたび国が滅び、人が死ぬようなことになれば、それを再生することはもはやかなわない。
究極は、取り返しのつかないところまで突き進んでしまう危険を、おおいにはらんでいるのである。

だから、「故明主慎之、良将警之(故に明主は之れを慎み、良将は之れを警(いまし)む)」というように、聡明でよき君主、将軍たるものは、戦をするに慎重を期し(冷静な判断をもってし)、いましめる(安易にしない)ものである。
治療を進めるにあたっては、治療者は診察に正確を期し、病者は冷静に診断(病状)を受け止め、協力して適切な方法を選択すべきである*5

最後に、「此安国全軍之道也(此れ国を安んじ軍を全うするの道なり)」としめくくられるように、以上が国そして人を安泰にするための要道であり、ひいては治療の要諦となるのである。


*1:よくよく考えてみれば、人の感情は、千変万化する状況に反応して、一定することなく常に変化している。だから、多少の浮き沈みは正常なのであって、問題にならないしすべきではない。状況も感情も、無常なのである。ここで問題となり気をつけるべきは、正常な範囲を超えた過度の変化、つまり極端な上下や起伏を起こさせる状況であり感情である。
話はややそれるが、人は変化に富む状況にあっては心の「平穏」を求め、変化に乏しい状況にあれば逆に「刺激」を求める。この欲求こそが、人の心がいかに変化に富んでいるか、またそれを望んでいるかをよく物語っている。
*2:もちろん、「医は仁術なり」ということばがあるように、こうした思いも大切である。しかし、その思いだけでは何もなすことはできない。
*3:その最たるものが、「即効性」や「手軽さ」といった「甘いうたい文句」をかかげる何かに手を出してしまったがために、呼ばずともよいたくさんの「蜂」を、はからずも自らその「泣き面」に呼び寄せてしまうというものである。我をも忘れる病苦のない人は、冷静な人でもあるから、そうした「都合のよいもの」はないと容易に判断できるし、そもそもそうしたものを必要としていないために、悲惨な事態に陥ることはまずない。生まれついてすぐより窮地に陥っている人は別にして、普通はそれなりに元気で、ある程度冷静でいられる時を無意識的に過ごしている。困った時にこそ、そうした時のおぼろげな記憶を少しでも思い返して、少なくともこれ以上足を滑らせて坂を転げ落ちないように、なんとか踏みとどまっていただきたいと、常々思う。
*4:主観的とは、いわゆる素人判断といいかえてもよいが、治療者が主観的であっては話にならない。なぜなら、医学は、客観的であるからで、それに法る治療者もまたそうであるべきは繰り返すまでもないだろう。現在の鍼灸は、よく経験的・主観的、つまり極めて個人的なものと考えられ、またほとんどの場合、そのようにして実践されている。それは、客観性の不在、つまり伝統的な中国医学の理論が、今や衰退(崩壊)し、また否定(排除)されしまっていることを如実に示している。理論のない医学は、行き当たりばったりの応用の利かない対症療法的な治療しか許さない★。だから、病状の理解はまったくないがしろにされ、治療(を試してみて、それ)がすぐに効いたか効かないかという結果だけが問題となり、ひいては治療者の技術や経験のみが重視されるようになる。様々な技術が乱立し、それをこぞって取り入れるという実用性重視の折衷的な態度も、またそうした一つに偏せず様々な技術を習得した治療者が優れているとされる風潮も、その延長である。こうした観点に立っている間は、冷静さを獲得することは極めて難しいといわざるをえないだろう。ここで扱った一連の問題については、資料室の鍼灸の話「難しいものは誰がやっても難しく、簡単なものは誰がやっても簡単である」にも別の角度から論じている。あわせて参照されたい。
★伝統的な中国医学の理論とは、陰陽五行論、五蔵、経脈などのことで、それらを運用することにより、本来ばらばらである諸症状を系統的に捉え総括的(全身的)な治療が可能になる。より具体的にいえば、諸症状を系統的に捉えるために構想された内部システムを「五蔵」といい、その陰陽五行的関係性の不調和が諸症状を発現し、またその調和をはかることでそれらが改善されるというものである。もし、これらの理論を用いないとなれば、諸症状を個別的に捉え、対症的に治療するという道しかなくなるのはおわかりいただけるだろうか(それも「痛み」や「コリ」にほぼ限定されるという、極めて貧弱なものである)。こうした眼差しは、現代医学的といってよく、そうした思惟に慣れ親しんでいる私たちにとってはわかりやすく、また誰にも受け入れられやすいが(逆にいえば、伝統的な中国医学の理論が、誰にとっても馴染みがなくわかりずらいということであって、そのために倦厭される対象となる)、それ故に通俗的といわざるをえない。ありていにいえば、症状の解析を現代医学で行い、治療の道具として取って付けたように鍼と灸を用いるというもので、それも現代医学の専門家である医師ならまだしも、そうでない(ほんらい鍼灸の専門家であるべき)鍼灸師がそれらしくするのだから、まことに滑稽である。
とはいえ、本邦では中国医学理論を積極的に取り入れ本格的に運用したのは近世初期(江戸前期)であって、中期以降はちょうど今と同じようになんとか定着した理論は批判され衰退の一途をたどり、近代になって完全に崩壊した。そうした中で1930年代以降、現代医学の限界(不治の病がある)の露呈により理論的な鍼灸の必要性が高まり、再興の動きがはじまった。一時は隆盛を極めた(といってさしつかえないだろう)が、それもつかの間、歴史は繰り返すというが、これに対して江戸中期以降さながらの理論否定(理論の検証と実用性の追求)の動きが再び起き、今や衰退のまっただ中というわけなのである。なお、理論否定とともにその答えとして出てくるのが、極めて個人的・経験的な鍼灸であるが、これまでを振り返ってみれば、そもそも医学の底流には近世以前から脱理論的な鍼灸があって、その上にときおり理論的な鍼灸が乗っかるという構図であった。だから、今は古くからの脱理論的な鍼灸が頭をもたげてきた時期ともいえる。そうした経緯の中での現状であるから、ある部分では無理からぬことで、頭ごなしに否定はできないのだが…。
だからといって、その流れに身をまかせてせっかく近代に再興した伝統的な方法が廃れゆくのを、ただじっとながめていることはできない。鍼灸の今後を決めるのは、ほかでもない鍼灸に携わる人々である。一人でも多くの人々が、これまでの経緯と現状を理解し、文献を介した伝統的な中国医学理論の研究と運用を重ねていけば、少しは違った展開も期待できるだろうし、ぜひそうあって欲しいものである。
*5:様々な治療法を試すことは、治療に迷っていることと同じで、結局のところどっちつかずであるために、明確な結果は得られない。つまり、何かに打ち込むことができない、もっといえば何もできないということに行き着く。逆に、何かを一つ選択するということは、病苦(にさいなまされる自身)と対峙する「不動の決心」をしたことにほかならず、それによって何らかの明確な結果を得られる。たとえそれが結果的に間違ったものであったにせよ、明確な評価を下して、また新たな選択(決心)をすることができるという利点がある。
次回は、これに関連して地形篇「故知兵者、動而不迷、挙而不窮(故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず)」を取り上げる。

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