鍼灸の話: “穴(ツボ)”は実在しない
いささか乱暴な題名ではあるが、冷静に考えれば、“穴”はフィクションのごときものであって、実際には存在しないという結論に達する。少なくともその存在の有無は、問題にする必要のないことはおのずと理解されよう。

本当に“穴”が体の表面に点在しているのであれば、だれでもたやすく見つけることができるはずであるが、いざ人の体をくまなくながめても、点として浮き出しているわけでもなく、ましてやどれだけあるのかということなどは到底考えのおよぶものではない。というのも、“穴”の総数や名称、その位置といった全体像が探す側にないからで、その全体像というのは、「言葉」によって規定された有機的な構造を持つ虚像であり、その作り上げられた「言葉」の集積を介してこそはじめて“穴”というものの存在が見出されるものだからである。

ある“穴”を探そうとする場合、必ずその名前と位置を知っていることが絶対の条件となるが、それがすでに「言葉」によって規定されているからこそ(それを知っている者は誰でも)特定の“穴”を見つけることができる。例えば、三陰交という有名なツボは、後漢代の『明堂』という鍼灸書に「在内踝上三寸(内踝の上、三寸に在り)」と位置が定められ、それをもとに、うちくるぶしから上に三寸のところ(実は、この「上」という方向はどこが上になるのか、三寸とは今で言うところの何僂冒蠹するのかという問題があるし、それらが解決しても具体的に場所を特定するには「内踝上三寸」だけでは幅がありすぎて、なんらかの「言葉」を補充しなければ特定することは困難である)を探るからこそ、そこに三陰交という“穴”を見つけることができるのである。
この三陰交にはいくつか問題があって、唐代まではその位置が二説(内踝上三寸と八寸)あった“穴”であり、その効用として現在は特に婦人科の疾患全般に効果があると言われるものの、同じく唐代まではそれを示す記述がないという、不可思議な経歴を持つ“穴”の一つである。今の三陰交としての認識が定められたのも北宋代になってからで、この一事をとっても見つけられたのではないということがわかる。いや、それぞれ違うものを試して効果のあった所を本当の三陰交と決めればよい(またはそのようにして決められたの)ではないか、という一見正しくも思える意見もあるだろう。けれども、ツボの数や、相互の位置関係といった全体としての枠組やその成立過程を無視しているところに問題があって、それは当たらない。

現在の“穴”の総数は、354とされている。この数を見てほとんどの人が気づくことは、「一年の日数」ということである。うそのようだが、“穴”は、はじめに数だけが設定され、後にその数に合わせて個々の“穴”が作られた。証拠として、個別的に設けられる直前の記述である『素問』気穴論篇に「気穴三百六十五、以応一歳。(気穴三百六十五、以て一歳に応ず。)」とはっきり書かれている。“穴”は、一年の日数に合わせて創造されたのである。

つまるところ、“穴”は最初から体に(その存在がなんらかの形でわかるように)点在しているわけでもなく、それを先人が長きにわたる試行錯誤を繰り返すうちに見つけ出したわけでもなく、たとえそうだとしてもその発見の瞬間は想像するよりほかないのである。そんなことで、その存在の有無は議論の対象にはならない。なにしろ問題とするべきは、“穴”の体系の裏にある論理や、その体系における個々の“穴”の名称の由来、位置、他の“穴”や経脈との関係といった、それらを構成する「言葉」であり、またそれらがどのように変化してきたのかという史的観点でなくてはならない。
最初に“穴”を“穴”として存在せしめる「言葉」がなくてはなんの経験もし得ないのである。

中国医学は、歴史が長く、また特に鍼灸の治療行為やその場となる“穴”、診察の要である脈診という(端から見ていているだけではわからない、目に見えない輙彖任痢紡減澆里燭瓩法∩埖腓淵蹈泪鵑鬚い世されるとともに、個人の感覚の鋭敏さやその果てにあるいかなる病気をも治癒せしめる能力を長年の臨床経験(修行)により体得できる(はずである)という幻想的な認識が(治療者および被治療者双方において)支配的である今、あえてこう明言しておかなくてはならない。

鍼灸は、使う道具も含め、それらを構成(支配)する要素は、すべて「言葉」によって規定されており、そのためにいずれ自然と会得できるものでは全くなく、積極的にその「言葉」を知ることによってのみ、鍼灸固有の諸要素を運用できるようになるものである。

“穴”は、「言葉」を介して認識される存在(現実)である。


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