鍼灸の話:なぜ浅い鍼なのか?
前回、「鍼を刺す深さの話」の中で、“陰部は深く⇔陽部は浅く”という原則があるということを書きました。現在、日本で行われている古典的鍼灸(経絡治療)は、系列により若干の差はあるものの、手足の要穴に浅い鍼をするというのが基本となっています。私が属する井上系経絡治療では、接触鍼(触れるだけの鍼)というのがもっぱらの鍼法です。患者さんからは、鍼を皮膚に触れるだけで何か効果があるのか?とよく質問されますが、意味のないことはしませんのでご心配なく。この疑問にもお答えするべく、今回の話をしたいと思います。
なぜ浅い鍼なのか?ということの答えは、専門用語を使えば次のようになります。それは、「陰虚(蔵虚)」という病態の重視と、「以右治左」という陰陽的な観点からの治療(手足の要穴の重視)ということにつきます。これでは、さっぱり意味が通じないでしょうから、わかりやすく説明を加えていきたいと思います。

まずは、「陰虚(蔵虚)」という病態の重視ということを解説しましょう。この陰虚(蔵虚)というのは、簡単に言えば死に向かって生きている状態のことなんです。人は産まれた瞬間から死ぬまでの過程で、呼吸をはじめ意識活動や労働などあらゆる活動をしますね。中国医学では、人の体にはそれらの活動(生)を支配している装置のようなものがあると想定されています。その生を実現している体の内(陰)にある装置を「(内)蔵」と称し、その「蔵」が働く(消耗)することであらゆる活動が可能になっているわけなんです。言ってみれば、車のエンジンの様な物ですね。この生きていく過程で生じる「蔵」気の消耗を総じて「陰虚(蔵虚)」と言うわけです。「蔵」気は産まれた時を100とすれば死は0ということになります。つまり盛(生)から衰(死)への一途ということですね。この身体認識が非常に重要なんですね。人のエンジンたる「蔵」は、寝不足をしたり偏った食事を摂ったり精神的疲労をすることにより、通常ならざる動きをせざるを得なくなります。生きていること自体が消耗でありますから、それに加えて不摂生という過度な消耗をすることにより病気になったり走行距離である寿命が短くなっていくと考えるわけですね。要は、「陰虚」が「生」そのものということが重要な認識なんですね。

さて次は、「以左治右」という陰陽的な観点からの治療(手足の要穴の重視)についてです。これは、たびたびトピックスで使う『素問』という古い中国医学古典の“陰陽応象大論”という篇の一節で、「左を以て右を治す」と読みます。直訳すれば「左に病がある時は、右を使って治す」ということになりますが、これだけでは意味としては不十分ですね。ですから、その一節の奥に隠されているものを知る必要があります。ここで使われている左右という言葉を陰陽論的な観点から陰陽に置き換えて読むと、あらゆる可能性が出てきます。右は陰(蔵)となり左(体表)は陽となりますから、これをもとに再度読むと「陽を以て陰を治す」、つまり「蔵の病(陰虚)は、体表にあるツボを使って治療する」といふうに理解することができます。この認識をもとに、現行のツボの体型ができあがる以前の古い時代から体表におけるより陽の部分である手足に重要なツボ(手足の要穴)が設定されています。私たちが手足の要穴を重視する理由でもあるわけですね。
以上をまとめると、人は常に「陰虚」とう状況にあり、それを治療するために「以陽治陰」という陰陽論的な観点から“手足の要穴”を選択するということになります。
治療の前提である「陰虚」や「以陽治陰」という認識から、体表のより陽部に設定された“手足の要穴”を使うことは理解頂けたと思います。ここで、ようやく本題の鍼の深さについての説明となります。この深浅という言葉は、陰陽で言えば深が陰となり、浅が陽となります。ですから前回の「鍼の深さの話」で触れた“陰部は深く⇔陽部は浅く”という原則にも繋がり、手足への施術は浅い鍼が基本となる理由になるわけです。その中でも手足の要穴は陽の陽たる部分ですから、それだけ皮膚の深浅も陽の陽たる部分、つまり最も浅い皮膚表面を治療の場とする必要があります。さらに言えば、「陰虚」や「以陽治陰」ということを重視しますし、部位の陰陽よりも皮膚の陰陽を優先にしますから、概ねどこでも接触鍼ということになるわけです。従って、深い鍼は基本的に必要がないということになります。

“なぜ浅い鍼なのか?”ということの理由を少しはわかっていただけたでしょうか?科学的根拠があるわけではなく、なにしろ「陰虚」「以陽治陰」といった陰陽論的な観点がその大きな理由ということになります。


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