鍼灸の話:鍼の深さの話
前々回の「お灸をすえる回数の話」の時にも触れた『甲乙経』という鍼灸の専門書を今回も使います。先にも書いたとおり、中国の晋の時代に書かれたと言われるもので、その第三巻に“ツボ(古くは孔穴とか輸穴などと言われていました)”の位置をはじめ、それぞれに対する鍼の深さや留めておく時間、お灸の回数の指示に至るまで、事細かにそして系統的に配列されて書かれています。

さて、その中の鍼を刺す深さを見ていくと、お灸のようにあざやかな数字の統一感はありませんけれど、おもしろいことがわかります。

その前に一体どのように文が書かれているのかということが全くわからないでしょうから、一例だけ挙げておきます。比較的よく知られている三陰交というツボを見てみましょう。「三陰交。在内踝上三寸。骨下陥者中。足太陰。厥陰。少陰之会。刺入三分。留七呼。灸三壮。(三陰交、内踝の上三寸、骨の下陥かなるものの中にあり。足の太陰、厥陰、少陰の会なり。刺し入ること三分、留むること七呼、灸すること三壮。)」となっています。
上記のような文体で、三四九ものツボが書かれ、各々に鍼の刺す深さが明記されています。実際に鍼を刺すということを考えた場合、一分と二分の深さの差をどう計り区別するのか?という疑問が出てきます。そこは技術的な問題だから修練が必要なのではというふうに言う方もいるかもしれませんが、それはおそらく無理なことですし、さして意味のないことだと思います。それは、お灸をすえる回数一つとってもそうですし、前回に書いた「「七」と「鍼」の関係」を見ても、実際の“定規”や“はかり”などで計測できるようなものとしての実数とは別に、思想的な要素を含んだ虚数としての側面が必ずあるんです。中国医学で扱われる数字は、必ずそういう観点から見ていく必要があります。

これらをふまえて本題の鍼の深さを見ていくと、一分から二寸五分という間となっていることがまずわかります。この数字だけを見ると、お灸の時とは違い、これといった法則性が見らません。ですから、ここで少しばかり見る角度を変えてツボの置かれる頭・手・足・胴体といった部位と鍼の深さの“深浅”との関係を見てみることにします。そうすると意外なことがわかるんですね。そもそも、ツボというのは手足にはじまり頭、背中、腰、胸、腹と全身にあるわけですが、単純に陰陽的な観点から身体を体幹(陰・本)⇔手足(陽・末)というように分類でき、また体幹を腹(陰・裏)⇔背(陽・表)、手足を足(陰・下)⇔手(陽・上)と細かくわけられます。鍼の深さの度合いである“深浅”も深(陰)⇔浅(陽)となります。
身体部位と鍼の“深浅”との関係を陰陽的な観点からじっと眺めると、陽の部分はより浅く、陰の部分はより深く設定されているということがはっきりとします。つまり手足は相対的に浅く、体幹部は深く、また手足では手が浅く足が深く、体幹部では背が浅く腹が深くなっているということです。
一見何でもないことのように思われることかもしれませんが、実は現在にも通じる非常に重要な要素を含んでいるんです。言い換えれば、ここで明らかになった発想というものは、私たちが参考にすべきものであり、運用が可能なものということが言えます。

せっかくですから、 こういった発想をどのように使うのかということにも簡単に触れておきましょう。

鍼の深さは、接触〜ごく浅くというのが基本となっていますが、上記のような発想をもとに部位によっては深く刺してもよい部位が設定されます。特に深い鍼をしてもよいとされるのは腰です。それは先の“陰部は深く⇔陽部は浅く”ということをもとに、背(陽・上)⇔腰(陰・下)という関係性から決められています。その他、手足は接触するのみで(接触鍼)、肩や背は接触〜ごく浅く、腹は接触〜背よりは深くてもよいといったことが言えます。
鍼の深さは、体の部位を陰陽論的な観点から見ることによりおのずと規定されることなんですね。これは、あくまでも体の部位という側面からの設定であって、私たちがごく浅い鍼(接触鍼)を基本としているということの理由の全てではありません。次回、なぜ浅い鍼をするのか?ということに焦点を絞り、より詳しく書きたいと思います。


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