古き良きもぐさ“熟艾”
以前に「もぐさの天日干し」という話の中で、「日光にさらすことで“もぐさ”により「陽」的要素が増し、その結果として湿気がとれ、“もぐさ”がやわらかくなるとともに捻り(お灸を作り)やすくなり、かつやわらかな熱さになる。」といったことを書きました。
その補足として、古き良きもぐさ“熟艾”の話をすることにします。

そもそも中国古代(先秦)の医学は、鍼灸に限れば灸法と砭石・鍼(箴)石と呼ばれる膿癰を切開する方法の二本立てで、今のような鍼法の確立は前漢時代の穴(つぼ)の出現を待たなければなりません。それらの中で灸法に関する最も古い記述は、『荘子』盗跖篇や『孟子』離婁上篇に見ることができます。特に、『孟子』の言葉の中に出てくる古い艾(よもぎ、もぐさ)を引き合いにした喩え話があって、それが今回の主題となる箇所です。以下にその部分を抜き出します。

「今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也。」(今の王ならんと欲する者は、猶お七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。)と。

これに対する後漢末の趙岐という人が次のような注をしています。

「今之諸侯、欲行王道而不積其徳、如至七年病而欲求三年時艾。」(今の諸侯、王道を行わんと欲して其の徳を積まず、七年の病に至りて三年時の艾を求めんが如きなり。)と。

つまるところ、「現在、王になりたがっている諸侯というものは、普段は暴政を行うも、急に仁政を行おうとしており、それは七年にもおよぶ病に三年物の艾をにわかに探し求めるようなものである」というお話です。

それはさておき、本題の「艾」について趙岐は「艾可以為灸人病、乾久益善。」(艾は以て人の病に灸することを為すべし。乾くこと久しければ、益ます善し。)と言っています。ほかにも時代はずいぶんと下った明の李時珍という人の『本草綱目』巻十五・艾・葉修治にこの話を引いて「凡用艾葉、須用陳久者、治令細軟。謂之熟艾。若生艾灸火、則傷人肌脈。故『孟子』云、「七年之病、求三年之艾」。」(凡そ艾葉を用うるには、須く陳久なる者を用い、治して細軟ならしむべし。之れを熟艾と謂う。若し生艾もて灸火すれば、則ち人の肌脈を傷るなり。故に『孟子』に云う、「七年の病に、三年の艾を求む」と。)と趙岐と同じことを述べています。

解説を加えるまでもなく、両者の言葉から「乾久(陳久)なる艾」が良いと古くから認識されていたことがうかがえます。それは、「生艾」は湿り気が多く、燃やすとその水分が蒸気となって皮膚に火傷をおわせるから乾いた「熟艾」が良いという現実的な理由もさることながら、陰なる「生(湿≒冷)」より時間を経ること久しければ、陽なる「乾(燥≒火)」に変化(転化)するという陰陽論的な発想がそこにはあります。
もちろん現在私たちが使用する「艾」は、その生成過程で十分な乾燥を経ているので問題はありません。けれども、上記の言葉にもあるように、さらに陳久なる「熟艾」であればあるほど良いと言うことができます。
そのために、天気の良い日には「天日干し」をするわけですね。

ついでに申し上げれば、「三年之艾」とは言うものの、それは単に3年を経たということではありません。漢数字には実数と虚数という二つの側面があり、ここでは後者の意味で用いられています。
『論語』先進第十一に「南容三復白圭。」(南容、白圭を三復す。)という一節があり、清・劉宝楠(『論語正義』)はその中の「三」について「古人言数之多、自三始。」(古人、数の多きを言いて、三自り始む。)と注しています。つまり、「三」は「多」という言外の意(引伸義)があることがわかり、さきの「陳久」という解釈とも符合します。したがって、「南容は白圭の詩[『詩経』大雅・抑「白圭之玷、尚可磨也。…」を指す]を何度も繰り返し読んでいた」という内容であると解されるわけです。
このほかにも、「三」は奇数(陽数)としての意味も持っていますから、「陽気」を補うお灸ならではの数字遊びと言えるでしょう。それも紀元前300年頃のお話です。

私のところで使っている艾は、点灸用が8年、知熱灸用が5年となっていますから、比較的古く「熟艾」と呼ぶに足ると思います。
 
 
《使用テキスト》
 慳匯卉軈繊戞Ю供阮元、『十三経注疏附校勘記』、第8冊、台湾・大化書局、1989年、5912頁
◆慄楞霍北棔戞明・李時珍、『四庫医学叢書』、第2冊、上海古籍出版社、1991年、149頁
『論語正義』:『諸子集成』、第1冊、中華書局、1996年、240頁
ぁ慳啝軅亀繊戞Ю供阮元、『十三経注疏附校勘記』、第2冊、台湾・大化書局、1989年、1196頁

《『孟子』経文および趙岐注》
『孟子』巻七・離婁章句上「今之欲王者、猶七年之病求三年之艾也。苟為不畜*、終身不得。苟不志於仁、終身憂辱、以陥於死亡。『詩』云、「其何能淑、載胥及溺」、此之謂也。」(今の王ならんと欲する者は、猶お七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。苟くも畜えざらしめば、終身にして得ざらん。苟くも仁に志さざれば、終身にして憂辱し、以て死亡に陥らん。『詩』に云う、「其れ何ぞ能く淑(よ)からん、載(すなわ)ち胥及(あいとも)に溺る」と。此れ之の謂なり。)
*王引之『経伝釈詞』云、「為、猶使也」。

趙岐注「今之諸侯、欲行王道而不積其徳、如至七年病而欲求三年時艾。当畜之乃可得、以三年時不畜蔵之。至七年而欲卒求之、何可得乎。艾可以為灸人病、乾久益善。故以為喩。志仁者、亦久行之、不行之則憂辱以陥死亡。桀紂是也。…『詩』大雅・桑柔之篇。」(今の諸侯、王道を行わんと欲して其の徳を積まず、七年の病に至りて三年時の艾を求めんが如きなり。当に之れを蓄え乃ち得るべし。三年の時を以て之れを蓄蔵せず、七年に至りて卒かに之れを求めんと欲するは、何をか得べけんや。艾は以て人の病に灸することを為すべし。乾くこと久しければ、益ます善し。故に以て喩と為す。仁を志さんとする者は、亦た之れを行うこと久しうし、之れを行わざれば則ち憂辱して以て死亡に陥らん。桀、紂是れなり。)


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