今月の言葉(2008年04月)
「昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝」 『孫子』形篇より

「昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為し、以て敵の勝つべきを待つ」

形篇の冒頭の一文であるが、先月と同じく「戦」を「療」に、「敵」を「病」におのおの変えれば、治療の巧みな者の理(ことわり)となる。よき治療者とは、まず己を負けない態勢に整え、敵が負けてしまう態勢になるのを待つ者、すなわち、まず己を病にならない(負けない)状態にし、あるいはすでに病めるのならば、病に打ち勝てる状態に病者を導き、相対的に病が消沈していく状況を作り出す者である。 

続けて「不可勝在己、可勝在敵。故善戦者、能為不可勝、不能使敵之可勝。(勝つべからざるは己に在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、能く勝つべからざるを為すも、敵をして勝つべからしむること能わず。)」と言い、敵(病)が己に打ち勝つことのできない態勢を作ることは、己の問題であるために自己の計らい(治療)でなんとかなるが、一方、敵(病)が己に負ける態勢となるのは、敵側の勢力に関わる問題であるために、こちらが直接に敵(病)を衰えさせることはできないのだと釘を刺す。
最後に古諺「勝可知、而不可為。(勝は知るべし、而して為すべからず。)」を引いて形篇第一章が締めくくられる。くどいようだが、敵(病)に打ち勝つ方法は分かっていても、それを無理矢理にとげることはできないのである。

こうしてみると、敵である「病」そのものに直接働きかけることのできない私たちは*、いかに自己の態勢を整えるかということに力を注ぐべきであるかを、よくよく考えなくてはならない。

よき治療者とは、「己」を十全の状態にし、「敵(病)」に負けぬ(ならぬ)よう計る者である。


*:「できない」というのは、戦えば双方が痛手を負うために極力「しない」という意に解してもよいだろう。初回(2008年2月)に引用した『孫子』謀攻篇の「百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也。(百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。)」を思い出していただきたい。この四句二十一字に象徴される「戦わずして勝つことを最善とする」という原則が、全篇を通じて底流にあるのである。力攻めである「攻城の法は、已むを得ざるが為め(攻城之法、為不得已)」に取る最終手段であることを忘れてはならない。


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