今月の言葉(2008年08月)
「凡戦者、以正合、以奇勝」 『孫子』勢篇より

「凡そ戦とは、正を以て合い、奇を以て勝つ」

戦は、まず正法、つまり自らを負けない状態にして臨み*1、そうした上で戦況の変化に応じて奇法を用いて勝ちを得るものである。
治療も、まずは自己を病(敵)に負けない状態に整えていくことが第一で、そうした中で病状(敵状)によって的確に対応することで治癒に向かうことができるというものである。

続けて「故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河。(故に善く奇を出だず者は、窮まり無きこと天地の如く、竭きざること江河の如し。)」と述べられるように、正法に加えて上手に奇法を用いるということは、天地[万物]の在り方(変化盛衰)のように窮まりがなく、また長江や黄河の水がつきないのと同じようなものだと言う*2
 
だから正法と奇法は「戦勢、不過奇正、奇正之変、不可勝窮也。奇正相生、如環無端。(戦勢は、奇正に過ぎざるも、奇正の変、勝げて窮むべからざるなり。奇正相い生じ、環の端無きが如き)」もの、つまり戦勢に応じた方法には正と奇の二つしかないものの、両者を交えた運用は、ちょうど輪に終わりがないように窮まりがないのである。
病状に応じた治療も正奇の二法あるのみであるが、両者の組み合わせ方には特定の症状にはこうするといった固定的な方法はなく、その時々によって勘案して変化させるべきもので窮まりがないのである。ただ、戦と同じく治療も自己の状態を整えていく正法を以て第一とするべきで、それは病状を左右するのは自己の状態の良否であるという根本的な考え方が土台にあるからである。その上で、例えば一気に決着すべき急激な病であれば、適宜それなりの奇法を用いるということが肝要なのである。


*1:形篇の「昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝。(昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為し、以て敵の勝つべきを待つ。)」(2008年4月参照)や「古之所謂善戦者、勝於易勝者也。…勝兵先勝而後求戦。(古の所謂善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。…勝兵は先ず勝ちて後に戦いを求むなり。)」(2008年3月参照)からうかがえるように、敵に勝る戦力を充実させてから戦をするのが常道である。
*2:具体的には「終而復始、四時是也。死而復生、日月是也。声不過五、五声之変、不可勝聴也。色不過五、五色之変、不可勝観也。味不過五、五味之変、不可勝嘗也。(終りて復た始まるは、四時是れなり。死して復た生ずるは、日月是れなり。声の五に過ぎざるも、五声の変は、勝(あ)げて聴くべからざるなり。色の五に過ぎざるも、五色の変、勝げて観るべからざるなり。味の五に過ぎざるも、五味の変、勝げて嘗(な)むべからざるなり。)」というように、天においては季節(四時)の巡りや昼夜の交代、月の満ち欠けであり、地においては音や味、色にそれぞれ五つしかないものの、それらがまじりあうことでいかようにも変化するために、聞き、味わい、そして見つくすことができない、ということになる。
これは余談になるが、幕末考證医家の多紀元簡の『医賸』巻二・内経之文似諸書に、上記の「声不過五」から「不可勝嘗也」九句四十一字と『素問』六節蔵象論「草生五色、五色之変、不可勝視、草生五味、五味之美、不可勝極。(草の五色を生ずるや、五色の変、勝げて視るべからず、草の五味を生ずるや、五味の美(うま)さ、勝げて極むべからざるなり。)」六句二十四字が類似しているという指摘があり、確かに似ている。なお、同篇に「如環無端」という表現は二度見られ、『霊枢』の邪気蔵府病形、経水、脈度、営衛生会、衛気、動輸(二度)の六篇にもあることから、医学と兵法との関わりが示唆される。

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