今月の言葉(2008年12月)
「夫将者国之輔也」 『孫子』謀攻篇より

「夫れ将は、国の輔(たすけ)なり」

将軍とは、国の輔佐役である。したがって、「輔」の在り方によりおのずと国の在り方も決まってくる。続けて「輔周則国必強、輔隙則国必弱(輔、周なれば則ち国、必ず強く、輔、隙あれば則ち国、必ず弱し)」と言うように、「輔」がよくゆきとどいた者であればその国は決まって強く、逆にすきのある者であればおのずと弱くなるのである*1
施術者もまた、治療者(病者)の軍師である。輔佐役となる以上は、ゆきとどいた者である(あろうとする)ことは当然であるが、なによりも両者の信頼関係が第一と言わねばならない。これなくしては、治療の行く末はもとより、治療者の心身の安定は望むべくもない。

これをふまえて、「故君之所以患於軍者三(故に君の軍に患(うれ)うる所以の者は三)」として、主君には軍事について注意すべきことが三つあると言う。
治療についても治療者が気をつけるべき点となる。

一つ目は、「不知軍之不可以進、而謂之進、不知軍之不可以退、而謂之退、是謂縻軍(軍の以て進むべからざるを知らずして、之れに進めと謂い、軍の以て退くべからずして、之れに退けと謂う、是れ軍を縻(しば)ると謂う)」と言う。軍の進退を見極めるのは将軍の役目であるから、軍事に詳しくない主君は勝手に采配をふるうべきではない。もしそれを振り切って軍を動かすなら、それは軍をしばり、ほしいままにしているだけのことである。もはや勝機は望めない。
治療の方法を定めるのは施術者の仕事であるから、具体的な治療方法や施術場所などの指定は治療者がするべきではない。

二つ目は、「不知三軍之事、而同三軍之政者、則軍士惑矣(三軍*2の事を知らずして、三軍の政を同じうすれば、則ち軍士惑う)」と言う。一つ目と同じく、軍事はそれを専門とする将軍に任せるべきで、主君が一緒に指揮すべきではないと。もし指揮したならば末端の兵士たちはどちらの指示に従えばよいかわからず、惑うことになる。
もし具体的な治療方法や施術場所などの指定があったならば、施術者はとまどいおもねることなく、明確な理由とともにすべての説明をすべきである。

三つ目は、「不知三軍之権、而同三軍之任、則軍士疑矣。三軍既惑且疑、則諸侯之難至矣(三軍の権*3を知らずして、三軍の任を同じうすれば、則ち軍士疑う。三軍既に惑い且つ疑えば、則ち諸侯の難至る)」と言う。軍におけるはかりごとを知らないのに、主君が一緒になって指揮すれば、兵士たちはそれを疑うようになる。迷いや疑いが蔓延した軍隊の志気は落ちるところとなり、敵はそのすきを衝いて攻め込んでくることは必至である。
もし治療方法や施術場所などの指示がまかり通ったならば、もはや施術者は施術者たる資格を持ち得ず、両者は迷走するよりほかはない。したがって、治療は成り立たず、病は進むばかりである。


最後に「是謂乱軍引勝(是れ軍を乱して勝ちを引くと謂う)」と総括される。余計な口をはさみ、諸事を乱せば、軍の統率が乱れ、自分から勝ちを遠ざけてしまうものであると。
種々雑多な治療方法や情報が多い今、あらゆる疑問や不安が生じて当然であるし、またこれまでの自己の経験から意見や要望も言いたくなるのが当たり前である。だから、それはよろしくないことではなく、むしろ好ましいことである。それに対して施術者は、批判するのではなく、またおもねって受け入れるわけでも決してなく、ただ施術者の立場から治療方針・方法などの明確な説明とその理解を得る努力をするのみである*4。それを怠れば、両者の「周密(親密)」な信頼関係は築かれず、事は立ちゆかなくなるだろう。施術者は、治療者が治療に専念できる環境作りをまずはしなければならない。

親切・丁寧を旨とする理由は、ここにある*5


*1:「周」とは、『説文』「周、密也」とあるように、周密であること、ゆきとどいているという意。また、『左伝』哀公・十六年「周仁、之謂信」の杜預注「周、親也」や『論語』為政「君子周而不比、小人比而不周」の孔安国注「忠信為周」から、主君と親密であること、また主君に忠信(まこと)のあるという意味も含まれていると考えてよい(それはいわゆる「仲良し」ということではなく、両者の立場をわきまえた礼節ある適切な関係である)。「隙」とは、それとは逆に「周密」でないこと。
*2:「三軍」とは、『周礼』夏官・序官に「凡軍之制、万有二千五百人為軍、大国三軍、次国二軍、小国一軍」とあるもので、ここでは大軍ないし軍隊全般を意味している。
*3:「権」とは、『淮南子』主術訓「任軽者易権」の高誘注に「権、謀也」とあるように、はかりごとのこと。
*4:最近、「クライアントのニーズに合わせて各種のセラピーを用意する」といったような意味の文言をよく目にする。ニーズと言っても、病を治したいという切実な「必要」と、癒しを求めるという一時的な「ニーズ」とは、判然と区別されるべきである。私は「病」の「治療」を目的とし、その「必要」に対応するために「鍼灸」という方法を選択し用いている。だから、他の方法は取り入れない。そもそも、観点の異なる別の方法を器用に取り混ぜることは極めて困難であるから、取り入れられないと言った方が正しい。専門性を欠くことも否めない。それよりも、一つの方法を選び深化させていくこと方が、地味で人目は惹かないけれども、長い目で見ればはるかに建設的であると思う。
*5:詳しくは「当院の治療方針」を参照のこと。


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