今月の言葉(2009年02月)
「知彼知己者、百戦不殆」 『孫子』謀攻篇より

「彼を知りて己を知れば、百戦して殆からず」

あまりにも有名な言葉である。敵状を把握し、また自己の状況をも承知していれば、いくら戦をしても負ける危険がないというのである。治療に置き換えれば、病状と病者の状況を把握していれば、うまくいかないことはないとでもなろうか。

実際には、同篇に「百戦百勝、非善之善者也。不戦而屈人之兵、善之善者也(百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり)」*1と明言されているように、戦をせずに敵を負かすことを最善とし、戦で勝つことは次善とされている。だから、どこまでも双方の状況(優劣・盛衰といった関係)を知り、それに応じた最善の策を講じることが必要となる。そのうえで、敵≧己であれば敵<己になるよう己を補強しなければならないし、そうしなければ勝ち目は薄い。もし敵<己であるならばたとえ攻められてもよほど対応を誤らなければ大敗することはないから、現状の力関係を維持することを心がけていけばよい。そうしたうえで戦をするのだから、当然百戦しても危うくないのである。
つまり、インフルエンザや風邪、寝違い、ぎっくり腰などのような急激に襲来する病*2を除き、攻撃的な治療や直接的な病所への療治はできるだけ避け、病<己となるように自己の状態補強を第一とする必要がある。そうすることで、病に冒されぬ=大きな病に至らぬ状態となり、治療もうまくいくのである。

だから、「不知彼而知己、一勝一負(彼を知らずして己を知れば、一勝一負す)」と言うように、己の状況だけわかっていても、敵状=敵との力関係がわからなければ、勝ったり負けたりしてしまうのである。それは逆でも同じであろう。敵状がわかっていても、己の状態に暗ければ、やはり勝算は五分である。
もっといけないのは、「不知彼不知己、毎戦必殆(彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし)」と言うように、双方の状況にうといことである。

とはいえ、『素問』の陰陽応象大論篇に「以我知彼(我を以て彼を知る)」と言うように、敵状=病状を考えることは、同時に己の状況を併せ考えることであり、それが形勢であるのだから、双方を切り離して眺めることは実際にはできないし、そうしなければならない*3

「百戦百勝」できる状況とは、敵(病)<己、すなわち形勢有利であることにほかならない。だから、常に「知彼知己(彼を知り己を知る)」ことで形勢を判断し、有利な状況を維持していくことが最善の策(治療)なのである*4


*1:2008年2月の言葉を参照のこと。
*2:こうした諸症状では、急激かつ一時的な病の襲来(病>己という状況)と判断された場合に、返り討ちとしての攻撃的な治療や直接的な病所への適切な施術を急やかに行わなければならない。その判断と戦略が適当であれば、ごく短時間のうちに病<己という状況に一挙に形勢を逆転させ、症状をみるみる解消させることができる。このように上手く攻略できれば痛手を最小限に食い止められるのだが、もしその判断を誤った場合は、言うまでもなくさらに形勢を悪化させ敗戦を余儀なくされる。それだけに、戦場における軍師に似て、施術者側も相当の緊張を強いられる。繰り返しになるが、病状の総合的な判断は、単なる表向きの症状からではなく、病者の状態とを併せた診察によって決定される。なお、私たちは現代医学の病名からは判断のしようがなく、必ず中国医学的な診察を経なければ何もわからないことを申し添えておく。
*3:例えば腰痛一つとっても、病状としての腰の痛み具合(いつからか、きっかけ、激痛か鈍痛か、常時か断続的か、痛む時間帯や姿勢はなど)はもちろんであるが、それを支える病者の状態としての普段の生活状況(飲食、大小便、睡眠、生理、仕事、人間関係など)と脈状(脈の状態)を併せて把握し、総合的な診断をしなければならない。
*4:これはあくまでも基本的な考え方であって、常時実現することは難しい。生きていることそれ自体が衰退である以上、常に弱りゆく己を、不摂生や思わしくない人間関係などといったいわいるストレスにより極端に衰えさせることなく、年齢相応のよい状態を目指すしかないのである。極端に衰退した状態が、病(病>己)を得たことであり、そのためにあらゆる症状が出てくると考えればよい。そうした観点から、ストレスを生じさせる状況の解消はもとより、極端な消耗状態の回復を治療の根本に置いているのである。


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