今月の言葉(2009年5月)
「不尽知用兵之害者、則不能尽知用兵之利也」 『孫子』作戦篇より

「尽(ことごと)く用兵の害を知らざる者は、則ち尽く用兵の利を知らざるなり」

戦をすることで生じる損失を熟知していない者は、戦による利益も十分に理解していないのと同じだというのである。
治療も同様で、病所への直接(攻撃)的な治療による得失は、よくよく知っておく必要がある。

そもそも戦をするためには、「日費千金、然後十万之師挙矣(日に千金を費して、然る後に十万の師挙がる)」*1というように、それなりの兵力や物資が必要となり、相応の費用がかかるものである。
其用戦也、久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈、久暴師則国用不足(其の戦を用(おこな)うや、久しければ則ち兵を鈍らせ鋭を挫(くじ)き、城を攻むれば則ち力屈(つ)き、久しく師を暴(さら)せば則ち国用不足す)」というように、もし戦争が長引けば兵や軍備が疲弊するだけでなく、国費もそれだけ不足することになる。そうなると、「夫鈍兵挫鋭、屈力殫貨、則諸侯乗其弊而起、雖有智者、不能善其後矣(夫れ兵を鈍らせ鋭を挫き、力屈(つ)き貨殫(つ)けば、則ち諸侯、其の弊に乗じて起こる。智者有りと雖も、善く其の後をすること能わず)」というように、兵力も国家の財政も困窮し国力が衰えたことに乗じて、諸外国が攻め入ってくることは必定であり、もはや智謀に優れた軍師をもってしても防ぎ守ることはできない。
治療についても重篤な病になればなるほど、作用(副作用)の強い薬の投薬量が増え、大がかりな手術が必要になり、それだけに体への負担も大きくなる。それで終わればよいが、病の重さに比例して再発の確立も高まり、数度にわたって重い病を繰り返すことも少なくなく、それに合併症の危険性も増すことだろうから、体への負担はなお大きくなるばかりである。長年にわたる消耗の果てに生じる病は、複雑かつ難症であることがほとんどで、予後も良好とはいえないものばかりであるから、名医をもってしても成否は定かではない。総じて治療による体の消耗はより大きく、その期間も長くなり、治療費も莫大な額になる*2

戦による損失とは、ほかならぬ兵や軍備の疲弊と国費の消耗、すなわち国力の衰退である。
治療による損失とは、体の大きな消耗と散財、もっといえば寿命が縮小し家運が傾くことにほかならない*3

故兵聞拙速、未睹巧久也。夫兵久而国利者、未之有也(故に兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹(み)ず。夫れ兵の久しくして国を利する者、未だ之れ有らざるなり)」というように、戦争に拙速(悪くても早く終わらせるもの)であるものはあっても、巧久(うまくて長引く)というものはないし、そもそも戦争が長引いて国益にかなうことなど、あったことがないし、これからもあろうはずもないのである。

だから、「故兵貴勝、不貴久(故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず)」といい、また「故知兵之将、民之司命、国家安危之主也(故に兵を知るの将は、民の司命、国家の安危の主なり)」というのである。
繰り返しになるが、戦争は勝つことが第一であるが、だからといって長くするべきものではない。戦争の利害得失を熟知する将軍という立場の人は、人民の生死を左右し、国家の存亡を決する主宰者なのである。
治療もまた成功することが第一であるが、攻撃的な治療は体への負担が大きいだけに、長く続けたり、何度も行うべきものではない。治療による得失を熟知する医者は、人の命(生死)や財産を預かる役目を負う者なのである。

こうしたことからも、計篇の冒頭に「兵者国之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也(兵とは国の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからず)」と述べられるのもうなずける。
これまでしつこく触れてきたように、『孫子』における最善かつ最も高等な戦略は、「戦わずして勝つ」こととされ、交戦は双方が兵力(国力)を損なうために、できるだけ避けるべき事柄であり、やむを得ず取る次善の策とされている。こうした観点から、国を全うするためには、可能な限り戦争をせずに済むよう敵に負けない(つまり攻め込ませずに敵を屈服・服従させる)だけの自国の充実を図ることが最も重要な戦略となる。そのための具体的な戦術として、十分な予算の確保が必要となる。
治療も同じく、病にならない(あるいは治していく)だけの自己の体力(いわゆる自然治癒力)の充実を図ることが最も重要かつ根本的な戦略となる。確かに急な発病(敵の来襲)には、それに応じた対処(力攻めとしての逆襲)も必要となるが、多くの場合は自己の衰えによる慢性的な病であるため、病所への直接(攻撃)的な治療はするべきではないし、しても自己の体力をより損なうだけで無益である。これは、原因の所在をどこに求めるかという問題でもあるのだが、例え肩や腰の痛みであっても、それを病所(症状を感じている場所)そのものの問題としてではなく、五蔵という身体の全てを実現する内部システムの不調和[により生じている症状の一つ]として捉えること、それが中国医学の身体観であり病態観なのである。こうした観点から、日々の生活で生じる五蔵の不調和をこまめに調整(是正)していけば、それによって生じる諸症状は軽いうちに解消していける、あるいは重くせずに済ませられるという発想、いわゆる未病治という考え方が生まれるのである*4

そのためには、週一回の治療が基本になり、相応の予算を組む必要がある*5


*1:「凡用兵之法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里饋糧、則内外之費賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日費千金、然後十万之師挙矣(凡そ用兵の法は、馳車は千駟、革車は千乗、帯甲は十万、千里にして糧を饋(おく)れば、則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費して、然る後に十万の師挙がるなり)」とある。
*2:そのために保険というシステムを利用して将来の一大事に備えるのだが、それだけでは十分ではなく、安心などはまったくできない。地道な治療費(軍資金)の積み立ても大切であるが、もっと重要かつ基本的なことは、大病にならぬように日頃から気をつけ、こまめに体のケアしていくことである。
大手術は、体に大きな負担はかかるものの、成功すれば嘘のようによくなり、瞬間でその病気とは縁を切ることができる[かのように見える]。それは華々しく喜ばしいことである一方で、そのような苦痛に満ちた状態に至るまでの理由や経緯を考える契機を奪っているともいえるだろう。最終的な手段として重要であるものの、「一瞬で治ること[によりそれを起こしている原因を忘れさせてしまうこと]の恐さ」をあわせて考えておくべきだろう。病巣(問題箇所)は取り去れても、病気を起こした原因は何ら変わることはないわけで、それにこれまでに積み重ねてきた消耗自体も本当にそれで終わったのかは定かではないのだから…。
本来は、「健康のことなどまったく気にせずにいられる」ことが好ましいものの、それは非常に難しいことで、せめて「健康のありがたさを知らずにいられる」ように在りたいものである。
*3:当然ながら、これまでの大きな消耗の結果である以上、大病を得た段階で寿命は縮んでいるも同じで、例え大手術などの治療が成功して余命が伸びたといっても、これまでの大きな消耗や寿命全体でのマイナスは帳消しにすることはできない。だから、どこまでいっても限りある命を大きく削るような消耗をしないように、大病を避けるべく手を尽くすことが重要となるのである。
*4:『淮南子』人間訓に「人皆軽小害、易微事、以多悔。患至而多後憂之。是猶病者已惓、而索良医也。雖有扁鵲、兪附之巧、猶不能生也(人は皆な小害を軽んじ、微事を易(あなど)り、以て悔多し。患い至りて後に之れを憂うこと多し。是れ猶お病者の已に惓(はげ)しくして、良医を索(もと)むるがごとし。扁鵲、兪附の巧有りと雖も、猶お生かす能わざるなり)」とあるように、何事も軽いうちにその芽を摘んでおく方がよいだろうし、そうした芽が出てこないように手を打つことが治療の理想的な在り方なのである。
*5:これを大金と考えるか、安い買い物と考えるかはその人次第であるが、それによって得るものを考えれば、あるいは保健のための積み立て、体への投資と思えば、そう高くはないのではなかろうか。
もちろん、そうしたからといって先々何が起こるかわからないのだが…。しかし何もしないよりは大病を患う可能性はより低くなることだろう。なお、こうした長期的な戦略をより確実なものとしていくために、日々の治療に加えて常に生活状況にも気を配り、できる範囲での健康的な生活を送るように心がけるとよいだろう。
鍼灸治療の最終的な目的は、ふさわしい死を迎えることにある。

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