今月の言葉(2009年6月)
「乱生於治」 『孫子』勢篇より

「乱は治より生ず」

あらゆる混乱とは、統治された状況[が何らかの理由で崩れることに]より生じるという。
病もまた、健やかな状態[が何らかの原因で損われることに]より生じる。

いいかえれば、混乱とは秩序の崩壊[した状態]であり、病とは命の衰退[した状態]である。

だから、統治の回復は秩序の再構築であり、健全さを取り戻すことは命を補養することなのである。

なお、「治生於乱(治は乱より生ず)」といわないのは、一度壊れたものはかつてのように元のとおりには戻らない、つまり治と乱とは交代を繰り返しながらも盛(治)から衰(乱)への一途をたどるという、いわゆる「盛者必衰の理」*1をふまえてのことであろう。

[統治の崩壊した後に訪れる]混乱の中から起こった新たな安定は、再興された秩序であって、かつての統治そのものではない。やはり[健康を損ない生じた]病が回復することで得られる快調さも、もはやかつての健康とは同じではないのである。

このようにして崩壊と復興を繰り返すうちに、次第に復興しても不十分な状態が目立つようになり、最終的には復興不可の無秩序な状態の継続、すなわちすべての終焉を迎えることになる、というのが物事の道理である。
人も病とその回復を繰り返し、次第に治療を重ねても十分に回復しないようになり、最後には何をしても回復しない状態、つまり死を迎えることになる*2

この過程で、崩壊の度合いが大きければ大きいほど、復興にもそれだけ時間と労力を要することになるだろうし、崩壊の回数が多ければ多いほど、度重なる復興に疲弊するだろう。これらは、結果的に終焉を早めるもので、長い目で見れば、こうした崩壊は小さく、そして少なくする方がよいのである。
要するに、ふさわしい終焉を迎えられるかは、秩序の崩壊をどれだけ防げるか、秩序をどれだけ保てるかにある。
人にあっては、病を生じさせる要因をどれだけ避けられるか、健全な状態を保つためにどれだけ養生や手入れができるかによって、寿命の長短や死に至るまでの過程が決まる。

鍼灸は、病の治療もさることながら、こうした日頃の手入れにも大いに資する*3*4


*1:『平家物語』でおなじみの「ことわり」だが、『雲笈七籤』巻四十九・秘要訣方・三一訣、巻九十五・仙籍語論要記・真仮に引かれる『昇玄経』にも「生者必死、有者必無、成者必壊、盛者必衰、少者必老(生ける者は必ず死し、有る者は必ず無からしめ、成る者は必ず壊れ、盛んなる者は必ず衰え、少き者は必ず老ゆ)」とあるように、何事も有から無へ、盛から衰へ、生から死へ、幼から老への一途をたどる定めにある。宋の張浚も『易』繋辞伝上「是故蓍之徳、円而神。封之徳、方以知。…聖人以此斉戒、以神明其徳矣(是の故に蓍の徳は、円にして神。封の徳は、方にして以て知なり。…聖人此れを以て斉戒し、以て其の徳を神明にす)」に注して「危生於安、乱生於治、亡生於存(危は安より生じ、乱は治より生じ、亡は存より生ず)」(『紫巖易伝』巻七)といい、同様のことを述べている。
なお、漢の劉向が『説苑』談叢で「意不並鋭、事不両隆、盛於彼者、必衰於此、長於左者、必短於右、喜夜臥者、不能蚤[早の仮借字]起也(意は並びて鋭ならず、事は両つながらに隆せず、彼に盛んなる者は、必ず此れに衰うなり。左に長き者は、必ず右に短し。夜臥を喜む者は、蚤起すること能わざるなり)」と述べているように、何事も両立することはなく、全体としては必ず衰退していくのである。
*2:中国医学の死へのまなざしは冷然たるもので、医学であるが故に生[における病と死]をもっぱら問題とするのみで、死後の世界などはまったく想定されていない。『霊枢』天年に「失神者死、得神者生也(神を失する者は死し、神を得る者は生く)」と端的に示されているように、『荘子』外篇・知北遊に見られる「人之生、気之聚也。聚則為生、散則為死(人の生や、気の聚りなり。聚れば則ち生と為し、散ずれば則ち死と為す)」や『礼記』祭義の「衆生必死、死必帰土(衆生は必ず死す、死するものは必ず土に帰す)」といった、素朴な死生観を基本的に踏襲している。ごく簡単にいえば、天地陰陽に順じ、飲食・起居・労働・感情に節度があれば、気を過度に散ずることがなく、病を遠ざけられ、天地陰陽に逆らい、節度のない生活を送れば、気をどんどん消耗するために、病を得、最終的には死を迎えるというものである。
*3:巷間いわれるところの「未病治」のことであるが、病気がなければ治療のできない今の医学とはまったく異なるところで、いわば本領である。なお、この本領を発揮するには、週に1回の治療は必須である。治療とは、本来的には地道かつ地味な作業で、手術のような華々しさやよろこびなどとは無縁といってよい。詳しくは2009年5月の言葉(『孫子』作戦篇「不尽知用兵之害者、則不能尽知用兵之利也」)を参照のこと。
*4:「衆生必死」とはいえ、『霊枢』師伝に「人之情、莫不悪死而楽生(人の情、死を悪みて生を楽しまざるは莫し)」とあるように、病や死を忌み遠ざけ、できるだけ安楽に長く生きることを望むのが人情であろう(もちろん「太く短く」という人もいるだろうが)。鍼灸とは、いずれ訪れる死をどう迎えるのか、その過程をどう過ごすのか、つまりどう生きるのかという、こうした問いに対する一つの答えであり、手段であると、私は思う。

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