今月の言葉(2009年9月)
「故知兵者、動而不迷、挙而不窮」 『孫子』地形篇より

「故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず」

戦のことに通じた者は、軍を動かしても合戦しても、その局面において迷うことも窮することもないという。
これになぞらえれば、医に通じた者は、ひとたび治療をはじめれば、その最中に迷い困ることはない、ということになるだろう。

では、通じるべき戦のこと(道理)とはいかなるものであろうか。
続けて引かれる故言がそれである。

知彼知己、勝乃不殆。知天知地、勝乃可全(彼を知りて己を知れば、勝は乃ち殆うからず。天を知りて地を知れば、勝は乃ち全うすべし)」と*1

敵状を把握し、かつ自己の状況を知ることで、〔敵との力関係=「形勢」を見極め、常に形勢有利な状況=「敵<己」になるよう策を講じて、必ずそうなるのを待って戦をするのだから〕勝ちは間違いなく、さらに天地自然の在り方を知りつくしていれば、〔置かれている地形や気候の状況、季節の巡りに応じた戦略が立てられるし、そのために有利な時や場所を臨機応変に選んで合戦できるから〕なおさらである、というのである*2
治療においては、病状を的確に診断するために、あわせて病者の生活状況(食事、住環境、仕事、人間関係など)や症状の時間的な変化(昼夜、天候、季節など)をつぶさに調べることが第一となる。そうして病勢を見極め、それに応じて病勢を衰えさせるための様々な策(治療に限らず、病の原因となる生活状況の改善の指示など)を講じて、病に勝る状態(「病>己」から「病<己」)になるよう仕向けていくのである。

『孫子』では、「戦わずして勝つ」ことを第一とするが、そのために「敵<己」という形勢有利な状況を常に保つ内政的な戦略が最も重要となる。裏を返せば、そうした状況を作れば戦をする必要もなく相手を屈することができるし、例え戦をしても負けることはないという考えが底流にある。
治療もこれに同じく、「病のない状態を保つ」ことが第一となるが、実際にはそうすることは難しい。しかし、基本戦略は「病>己」から「病<己」という状況を内政的な治療によって目指すことであり、具体的には病の原因を日々生産する様々な生活状況の改善と治療によっていわゆる自然治癒力を向上していくことである。したがって、直接的(攻撃的)な病所への治療は、謀攻篇に「攻城之法、為不得已(攻城の法は、已むを得ざるが為めなり)」というように、攻撃する以上は双方が痛手を負うため(人にあっては大きな負担があるため)、最終的な手段としておこなうもので、滅多にすることはないのである*3

もし、こうした道理を十分に理解していなければ、正確な状況判断ができないために、勝てるものも勝てなくなるし、また不利な状況であるにも関わらず迷走して負けを喫することになる。
正確に病状の診断ができなければ、目先の症状に惑わされ、病状に合わない直接的な治療を多用して、するべき内政的な治療を怠ることになり、治るものも治らなくなるし、そのために病者も治療者も治療に迷い窮することになる。

これを「無謀」という。

だから、こうした道理を熟知したうえでの行動は、正確な状況判断(診断)と的確な計略(治療方針)に支えられているために、「動而不迷、挙而不窮(動いて迷わず、挙げて窮せざる)」状況を作れるのである。



*1:これに違えば、「知吾卒之可以撃、而不知敵之不可撃、勝之半也。知敵之可撃、而不知吾卒之不可以撃、勝之半也。知敵之可撃、知吾卒之可以撃、而不知地形之不可以戦、勝之半也。(吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も敵の撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知るも、而も吾が卒の以て撃つべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つべきを知り、吾が卒の以て撃つべきを知るも、而も地形の以て戦うべからざるを知らざるは、勝の半ばなり。)」というように、勝てる保証はなくなる。まとめれば、仝覆僚猗が万端であっても、敵がそれ以上に備えている場合、敵に備えがなくすきだらけであっても、同様に己の準備が不十分である場合、E┐鉾えがなく、己は準備万端であっても、戦をするべきでない不利な土地(状況)である場合の三つであるが、これらは戦の道理を支える基本原則であるから、忘れてはならない。
*2:関連の深い2008年3月(形篇「古之所謂善戦者、勝於易勝者也。…勝兵先勝而後求戦」)、4月(形篇「昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝」)、6月(虚実篇「夫兵之形象水」)、11月(同篇「夫地形者、兵之助也」)、2009年2月(謀攻篇「知彼知己者、百戦不殆」)の言葉をあわせて参照されたい。
*3:力攻めである病所への直接的な治療の代表格は、なんといってもガンや骨折などの外科手術であるが、技術が進歩しているとはいえ、体を傷つけることには変わりなく、少なからず負担を伴うものである。鍼灸についていえば、風邪やインフルエンザ(≒傷寒)などのいわゆる外邪による急で激しい病を、即座に解消するために、外邪を取り除く瀉法という治法をおこなう。このほか、病所への直接的な治療といえば、ぎっくり腰(主に湿邪)や寝違い(風邪)などの、動かして痛みが出る(動作時痛)、ないし痛みがあるために動かせない(可動域制限)という、やはり急で激しい症状の場合に、それらを素早く解消するために病状に応じて病所への施術を適宜おこなう(力攻めであることを忘れ、欲を出して必要以上に施術すれば、当然の帰結として悪化させることになる。細心の注意を要す)。こう書くと、「慢性的な痛みやコリ」にはどうかと問われそうだが、その痛みやコリの原因が、その部位を酷使したこと(肉体疲労)であるならともかく、ほとんど日々の生活(精神疲労)によってそれとは別のもっと深い内部(中国医学ではそれを「五蔵」という)が疲弊して、結果的に特定の浅い表の部位に症状が出ているだけなのだから、局所の治療をしても、その一瞬はよいかもしれないが、「おおもと」を治療しないのだから、畢竟徒労に終わる。
そもそも、痛みやコリに限らず、外傷を除けば、あらゆる症状を引き起こす要因は、精神疲労といっても過言ではない。最初は自然治癒力によって解消され軽いもので済むが、それも次第に及ばなくなり、だんだんと疲労が積み重なっていき、治りも悪くなり、慢性化していく(それに、加齢とともに自然治癒力は弱まっていくのだから、なおさらである)。もっと蓄積すれば、相応に症状も増え、重さを増すことだろう。したがって、日々の疲労の蓄積を、いかに解消させていくかが重要な課題となることは、もうおわかりだろう。内政的な治療を基本戦略とする理由は、ここにある。

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