今月の言葉(2009年11月)
「能愚士卒之耳目、使之無知」 『孫子』九地篇より

「能く士卒の耳目を愚にし、之れをして知ること無からしむ」

これは「将軍之事」、つまり将軍の重要な仕事の一つであるが、兵士の耳目を閉ざして、あらゆる情報を知らせないようにするという。先月予告した治療者の手腕に通ずる。
後ろ向きな物言いと思われるかもしれないが、極めて合理的な考え方である。思うに、今の時代にもっとも必要な発想ではなかろうか。

当たり前だが、与えられる情報が一つなら、〔比較する対象がないために〕迷いようがない。それと同じで、進むよりほかに道がない状況に陥れば、その結果、不安や恐怖はあっても「不得已則闘(已むを得ざれば則ち闘う)」(同篇)ことになるし、負の感情があるからこそ〔それから逃れんとして〕必死にもなれるのである。

けれども、種々雑多な情報を大量かつ容易に入手できる現代においては、病者の耳目を愚にすることは到底無理である。そもそも病者には、専門的な知識がなく、そのうえ健常時の正気を少なからず損なっているのだから、ただでさえ判別の難しい情報群を正確に判断することは困難である。ましてや刻々と変化する病状に応じたよりよい選択をするなど、ほとんど無理である。事態はいよいよ悪い。
病者一人では、迷いに迷わなければならず、たとえ何かを選んでも、いくつもの情報が頭にあるために、常にそれらが気にかかり、それらの方がよいのではという疑念が次々と起こるだろうし、またそうした疑念はそう容易くかき消せるものではない。一つしか情報がない時の不安や恐怖とは別の、それをはるかに越えた不信や恐怖に苛まされることになるだろう。

焦燥感に駆られ、する必要もない葛藤に永遠と苦しむ道が、あらかじめいくつも用意されているのである。

様々な可能性を持つ道も、道案内の同伴者がいなければ、迷路となりイバラの道となる。

そこで、いよいよ同伴者たる治療者の手腕が問われることになる。
先月述べたように、「もうこの治療にかけるしかないという状況」を作り、また「そう固く決意するという境地」に至るよう導くことが、治療者の大切な仕事の一つである。

言うまでもなく、治療者の手腕が試される状況とは、理由はどうであれ、すでに病者により選ばれた段階にあり、病者にとっては大きな決断を下した時である(これは最も尊重されるべきことで、治療者そして病者本人もその決断を無下にしてはならない)。が、多くの場合は、いまだ半信半疑であり、様子をうかがっているところでもある。

治療の開始からできるだけ早い時期に、こうした不安定な心情を落ち着かせることが重要なのである。

そのためには、効果を即座に実感することが一番であろうが、そう簡単に治るような病状であることは少なく、ほとんどの場合が慢性的な病であるために、数ヶ月から長いものでは数年の期間を必要とするから、残念ながら落ち着かせる要素にはほとんどならない(そう言うと、余所で知り得た玉石混淆の情報群が頭を支配して、様々な疑問や不安がさらに増大することは避けられないではないか、という指摘を受けそうであるが、ほかにもっと大事なことがある)。

では、何が求められるのか。

それは、第一に病状とそれに対する治療の方針・方法、今後の経過予測(予後)などの明確な説明とその理解を得る努力をすることである。病者の理解なくしては、治療は成り立たない。
第二に様々な疑問や不安に答えること。許多の治療方法を知識として得ているばかりに、それが仇となり、別によい方法があるのではないかという考えが、頭の片隅にこびりついて離れないのが普通である。どんな些細なものであっても、それらをくみ取り、丁寧に一つ一つ解消していかなければ、治療の継続はもとより、その先にある病の改善は望むべくもない。

病者の耳目を愚にするとは、種々雑多な情報を正確に処理させ、選んだ治療方法に納得して取り組ませることである*


*:種々雑多な情報を正確に理解し、選んだ治療方法に納得することは、方法が一つであるのと何ら変わるところはない。これが、「もうこの治療にかけるしかないという状況」であり、また「そう固く決意するという境地」に至った、と言ってよいだろう。とはいえ、あくまでも理想の話で、実際にはまだまだ難しい事情がある。次回はこの問題を中心に、引き続き治療者の手腕について述べる。


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